チラシのおもて

すきなものについて

『この世界の片隅に』を通して見る”過去”と”今”①

婆ちゃんに広島のお土産を渡してきたついでに色んな話を聞いてきた。戦時中とか、昔の事。婆ちゃんは広島の人間ではないけど、その時代を生き抜いた人なので、とても貴重な話だ。当時を覚えている方の話って、どんどん聞けなくなってしまう気がするので、ここに記録としてインタビュー形式で載せてみる。そして広島へ行って色んな人と触れ合ってみてから『この世界の片隅に』を改めて見て、そして婆ちゃんの当時の話を聞いて、僕が思った事や作品についてを書きたいと思います。まずは『この世界の片隅に』の広島ロケ地MAPを見ながら色んな話をした。最近、戦争の事とか考える場面が多くて、こんな記事ばかりですが、良かったら読んでください。



ー (古い地図を指して)呉にいってきた。婆ちゃんは広島に行ったんだっけ?

呉までいったのか。広島行ったけど、そっちの方は全然見てないね。平和資料館しか行ってない気がする。ツアーだからねぇ。覚えてないね

ー じゃあ、宮島とか西の方ってこと?

そうそう

ー ここが今の原爆ドームだよね

産業奨励館・・・そうそう、ツアーだから、この辺しか行けなかった

ー そうかぁ、広島は都会みたいで、呉は田舎だから歩くの厳しいかも。「大和ミュージアム」で大和について見てきたんだけど、当時は知ってた?

知らないねぇ。田舎に住んでたからかもしれないけど、当時は自分が生きる為に手一杯だから耳に入らなかったのかもしれないねぇ

ー なるほど、田舎だから。婆ちゃんの家は戦争で壊されたの?

田舎だから壊されたりはなかった。だけど、昭和19年に地震があって屋根*1とかが落ちてきて怖かったねぇ。近くの大きい本屋さんに皆んなして行ってた。戦争で狙われたのは、浜松の方(当時は静岡にいた為)の工場とか小学校だから、婆ちゃんは飛んでく飛行機をよく見たり、機関銃の音をよく聞いた

ー 人が多いところを狙ったって事だよね?酷いことするなぁ

そうそう。人が多いところは工業地帯とかだったから、そこを攻撃された。酷いよ。戦争が終わって全部無くなる前に止めれば良かった

ー 確かに。無くなってからじゃ遅い。(広島城の近く)西練兵場があるけど、これは?

練兵場は兵隊の人が訓練するところだよ。広島はこんなのあるんだねぇ。やっぱり、こうやって兵隊がいたからなのかねぇ。全然違う

ー ここにも射撃場があるね

当時は皆んな銃を持って練習してた。(すずさんが近くで絵を描いているイラストがあって)こんな近くで子供は遊ばないよ。でも広島は違うのかね。そういえば馬橋(今住んでる所)にも射撃場はあったね

ー え、本当に?知らなかったなぁ。話変わるけど、戦争は日本が始めたんだよね?

そうだよ、敵うわけ訳ないのに攻撃したから

ー 調子に乗っちゃったのかな、色んな戦争あって。でも日本も技術力はあったと思うんだけど、当時も勝てないって思ってたの?

そうそう、自分たちに技術があるって思いこんじゃった。でもアメリカがそれを上回ってた

ー 今は中国とかも徴兵制みたいのあるけど、どう思う?日清戦争とかの影響もあるのかな

中国はそうだねぇ。日清、日露・・・今の中国は昔の日本みたいねぇ。当時は徴兵制に呼ばれないように、わざとご飯を食べないで痩せたりしていた人がいた

ー でも、それって非国民みたいに言われないの?後、行けないとしても喜んじゃいけなそうだけど

非国民というか、当時の人は軍隊に入るのが当たり前だと思ってたから、軍隊に入れると「やったー!」って喜んでたんだよ

ー すごい時代。婆ちゃんも誰かに「非国民だ!」とか言ったの?

いったねぇ(笑)

ー あっ、そうなんだ(笑)

そうそう、みんなこういう格好だった(すずさんたちの幼き日の着物姿を見て)、後、理髪店なんて男はバリカンだし、女は家で皆んなおかっぱにしちゃうから行かないね。カフェ?喫茶店なんて金持ちしか行かなかったよ

ー (すずさんのおさげ風の髪型を指して)じゃあ、この髪どう思う?

こんな人いないよ(笑)駄菓子屋のキャンディーはあったねぇ。ここにサンタの格好している人いるけど、クリスマスなんて祝ってなかったよ

ー 戦争やってアメリカから流れてきた文化なのかな?

広島はやってたのかもしれないねぇ、日本は日本でも違うもんだねぇ

ー 広島は皆んな優しくていい所だったよ、後、路面電車が好き

あーそう、皆んな苦労してるからかねぇ。今の若者は苦労してないから苦労したほうがいい。だって昔は小学校が終わったら働きに出てた。路面電車は、昔は東京中を走ってたからねぇ

ー そうだ、このすずさんも海苔を売りに行ってた。嫌な事とか避けてる人が多いから、嫌な事をした方が成長に繋がるかもしれないね。そういえば少し前に(従兄弟の)Kちゃんから、ちょっと鬱って連絡きた(笑)

ありゃ、苦労してるのかね。困ったねぇ。そういえば、爺さんが戦争の時に広島にちょっと行ってたかなぁ

ー えっ、マジ?




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まだまだ配給がどうとか、当時の食卓事情とか色んな事を1時間以上も話したんだけど、この辺で。当時の生活みたいな物を知りたかったので聞けてよかった。『この世界の片隅に』で描かれた様な細部に、”片隅に”こそ、そういう時代性や人間性といった物が見えると僕は思った。爺ちゃんが生きてたら、戦争の話とか沢山聞きたかったなぁ。爺ちゃんに会いたい。婆ちゃんは何年になにがあったとか詳しく覚えてるのすごいや。因みに婆ちゃんは日本の都道府県全て行ったことあるらしい。伊豆諸島とか沖縄の島国とかも色々と。

今回はコレだけで次のブログで『この世界の片隅に』ついて詳しく触れます!(明日になるかも)

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*1:調べてみたら昭和東南海地震がヒットしたので、おそらくコレです。

佐藤智一『17歳のチズ 上』古地図の魅力。

広島から無事に返れて一安心。大体、旅行に行くとレンタカーぶつけて10万円払ったりだとか、財布を盗まれるだとか、何かしら起こってしまうのですが、何事もなく帰れたし楽しかった。朝起きたら、「あぁ、帰ってきたんだ」と寂しい気持ちになって泣きそうになったしまいました(笑)

ちょっと話が変わります。僕は散歩が一つの趣味であったりするので旅行先でも、とにかく歩く。広島旅行でも、とにかく歩いたし広島-呉(『この世界の片隅に』の舞台)、そして広島-八丁堀(ホテルのある場所)間でしか路面電車などの交通機関を利用しなかった。観光していて1時間程度でたどり着けるなら徒歩を選んでしまいます。ちょっと浮いたお金で美味しい物を食べようってなるし、やっぱり疲れた後に食べる飯と入る銭湯は別格に最高です!で、今回のブログの核になる話をしますが、旅行中に『この世界の片隅に』の聖地巡礼MAPの様な物を頂いて、それを頼りに街を歩きました。しかし、それは1945年(昭和19年)の当時の広島を元に書かれた物で縮尺や地形なども当然違うし。今思うと無謀な旅に思える。その旅のブログにも書いたが、自衛官の人にその地図を見せて道を案内して貰ったのだが、それでも場所が分からなかったのは"過去の地図"と"現在の地図"に大きな差があったからかもしれないです。そんな事に気づいた僕が見つけたのが『17歳のチズ』という漫画です。

内容紹介-

JK&古地図&徳川埋蔵金ミステリー!!

見たモノ全てを記憶できるJK大柴チズ。
亡き父に覚え込まされた古文書が原因で単身上京!!
その目的はなんと、徳川埋蔵金探しだった!!
古文書と古地図を頼りに東へ西へーー
大都会・東京を狭しと、チズの埋蔵金の謎解きが始まる!!


尾崎豊の「十七歳の地図」を連想させるし、尾崎豊の曲をダジャレに昇華させてしまう点からして、作者は"おっさん"なのかなぁと思いました(失礼ですが...)。ただ彼の曲の様に焦燥感だったり、生き辛さだったりが、この漫画からは感じられないくらい清々しい内容になっている。少し時間が合って広島駅にある本屋さんで見つけたので買って読んだのですが、これが面白い!女子高生が埋蔵金を探すって言う設定もそうだが、"地図"を瞬時に記憶できる主人公チズの能力が面白い。


こんな感じでパラーっと捲って、「インストールOK?」「バッチシ」と人工知能もビックリのお手軽さなのだ。広島の特に呉市は「大和ミュージアム」等があるのですが、観光施設がスーパーの隣にあったりと何だか街に馴染んでいて観光場所っぽくないのだ。だから勿論、"現在の地図"が街中には存在せず、僕が旅行中に"過去の地図"だけ見てしまって迷ったのは当然の結果だった。しかし『17歳のチズ』の主人公チズは、瞬時に記憶出来る能力を用いて"過去の地図"と"現在の地図"を頭の中で立体的に把握し、過去と未来の"結び"としての役割を担っている気がしました。地図が変わって分からなくなってしまったお婆ちゃんの過去の思い出の地を、チズが頭の中で照らし合わせ見つけていく。そんな人々の触れ合いを通して埋蔵金の手がかりを見つけていくのが非常に「物語(ドラマ)」的だ。旅行中に僕も同じ様な事をしていたので、なんだか過去の広島と現在の広島が繋がったような気がしてタイムスリップしたような不思議な感覚が非常に楽しかった。『この世界の片隅に』繋がりという訳じゃないが、ドラマ化の際には是非とも"のん"さんを主役に抜擢して欲しい!少し調べてみたら、「古地図」の上に現在地を表示させるアプリがあるみたいなので、旅や歴史が好きな方には是非とも活用してほしいです。

後、もう一冊。マキヒロチの『創太郎の出張ぼっちめし』という漫画も買ってみたのですが、面白かった。全国各地に出張する出版社の主人公が、彼女にフラれ、出張先で食を通じて自分を見つめなおし変わっていくという話だ。主人公の吉田創太郎は、特に食に関しての拘りもなく手軽な牛丼屋さんに入ってしまうのだが、まるで僕の様で笑ってしまった。そう、旅行先でも平気で牛丼を食べるのだ。だから、広島旅行の一日目の夜にホテルでこれを読んでいて、「これは改善せねば」と思った程だ。

こんな感じで、2冊とも出かけたり旅をしたりする人には非常に面白いまんがなので是非とも読んでいただきたいです。


17歳のチズ 上 (ビッグコミックス)

17歳のチズ 上 (ビッグコミックス)

17歳のチズ 下 (ビッグコミックス)

17歳のチズ 下 (ビッグコミックス)

創太郎の出張ぼっちめし 1 (BUNCH COMICS)

創太郎の出張ぼっちめし 1 (BUNCH COMICS)

創太郎の出張ぼっちめし 2 (BUNCH COMICS)

創太郎の出張ぼっちめし 2 (BUNCH COMICS)

広島ひとり旅③ ボーイ・ミーツ・みっちゃん

今日は時間がないと思っていたが色々と回れて充実したので、とっても長いです。時間がないという方は途中まで、どうぞ。色んな出会いがあった広島ひとり旅の二日目について書いていく。出来たら、これまでの記事と合わせて読んで下さい。

 

突然なのですが、昨日の夜”みっちゃん”を一目見てから、ずっと僕はみっちゃんのことを考えている。ドラマ『校閲ガール』で、菅田将暉が”えっちゃん”に恋をした様に、僕も”みっちゃん”に恋をしたのだ。そんな、みっちゃんを美味しそうだなぁ、食べたいなぁと思ってしまう変態さに自分でも辟易してしまう。しかも、結構有名な方らしくて、僕が恋をしてしまうなんてお門違いなのだと悩んだ。そろそろ変な勘違いを生みそうなので白状すると、みっちゃんはお好み焼き屋さんの名前だ。もう昨日の夜から食べたくて仕方なくて、ずっと考えていて営業時間を調べて、彼女の所に向かったのだ(擬人化にお付き合いください)。しかし23日は会えないらしく諦めた。昨日の銭湯といいピンポイントで営業してないのは運が悪いのか...。

 

そんなみっちゃんの事が気掛かりで調べてみると、他にもみっちゃん(広島に何店かある)がいて喜んだのだが、『エヴァ』で碇シンジ君がクローンの綾波レイがいる事を知った時の驚きにも近い。でも、みっちゃん(綾波)がクローンでも多少の性格や味の違いがあっても、同じ部分があるし好きになれる可能性もあるので、綾波をとりあえず味わってからでも遅くない事をシンジ君に伝えたい。何だか、ややこしくて、ごめんなさい。とりあえず次の目的地に向かい足を運んでいたので後回し。

 

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広島城へ足を伸ばした。2枚目は上からの眺め。

 

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これは広島大本営跡だ。お城も好きだが、こういう跡地も当時はこういう物が建ってたかもと想像するのが本当に楽しい。そのうち”AR”とかで可視化される様になるのかもしれないが、想像力が失われてしまいそうなので僕は賛成ではない。新しい事に触れるのはいい事だが、何かが生まれるという事は、何かを失うという事だと思う。例えばだが、観光地で自撮り棒を使い撮影する人がいるが、それによって人と人との触れ合いが減ってしまった気がするのだ。僕は”AI”とか新しい物も好きではあるのだが、本質的に大切な物とかそういうのを失ってはいけない様な気がしている。

 

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せっかくなので広島城にも入った。写真は城を守るために石を落としていた所らしい。数々の展示があって歴史好きには堪らないと思うし、その中に刀を持ってみようみたいな展示があって、またしても「うおお」などとリアクションをしていたら、おじいちゃんに話しかけられた。「すっごく重いでしょう。こんなの振り回してたなんて信じられん!」と笑い合った。後で、おじいさんの奥さんがやってきて、僕への”語り”と同じ事を彼女にも大声で嬉しそうに語った。きっと、おばあちゃんは耳が遠いのだろう。何だが微笑ましい。昨日から、やたら話しかけられるのだが、こんな触れ合いが非常に温かくて広島が大好きなった。普段は気を張っているので話しづらい人間だと自分でも思うが、はしゃいでる時は、きっと少年のままなのかもしれないなぁと思った。

 

そんなこんなで、みっちゃんに会いに向かった。ちゃんと営業しているか不安だったので安心した。昼間なので、大変混雑している。

 

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今か今かと待ちながら、この人は死ぬまでに、いったい幾つのお好み焼きをつくるんだろうかと考えていた。果てしない。

 

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 とりあえずスタンダードな感じのミックス(¥1,100)を頼んだ。うどん or そばと選べるらしく、そばにした。うどんって馴染みないけど、どうなんでしょうか。そもそも、そばが入ってるお好み焼きも、そんなに食べないので驚いた。少食なので量が多かった気がしますが、美味しかった。でも昨日のラーメンといい少し味が濃い気がします。

 

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満腹になったので、元気100倍で広島散策を再スタート。なんとなく、その地に根ざした映画館を見たいと思い見てきました。これは「夢売劇場 サランシネマ」素敵な名前です!ここが「八丁座」という映画館だと思ってたのですが、エレベーターに乗り合わせたおばあちゃんに他に映画館があるか聞いたら、「広島は沢山あるよ、あっち、右斜め、八丁座」と教えてくれたので勘違いに気づいた。(写真撮ったし気づくやろ!)

 

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事前に調べて、渋谷のル・シネマっぽい雰囲気だったのを知っていたので、なんか違うなと思ったら案の定でした。でもル・シネマと劇場内の雰囲気は似てるけどシアター番号が”弐”と買いてあったり、全体的に和な感じで良かった。昨日の夜は暇してたので、レイトで見にくればよかったなと後悔した。

 

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映画館の展示に、すぐそこがこのシーンと書いてあったので見てみた!ほんとや!ここ来なかったら気付かんかったから良かった。

 

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なんやかんやで午後13時。帰りの新幹線が17時頃なので、まだまだイケると思い「広島平和記念資料館」に向かった。教科書や『はだしのゲン』を読んで色んな事を知っていても改めて勉強になる。

 

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遺品の時計。

 

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変形したガラス瓶。

 

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原爆が投下された後の街を再現したジオラマ。長い時間、ジーーッと見つめていた。ふと周りを見渡すと、ほとんど外国の人しかいなくて僕と同じ様に、それをジーーッと眺めている。そこには色んな国の様々な人がいた。僕と同じくらいの歳の子もいたが、どんな想いで、なにを想ったのでしょうか。なんとなく海外の人と僕らは同じだと思った。同じ日本であるから多少は知ってるし、でも、どの程度って聞かれたらどうでしょう。きっと知った気になってるのだ。広島と長崎以外に住む方にとっては、知らないも同然なのではないかと思ってしまった。正直、僕は被爆者でもなければ、被爆二世でもないし、知り合いにそのような方がいいので現実味がないのだ。こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』では、その様な方の悩みや心情が綴られている。でも読み返してみると、所々どこか曖昧な所であってあえて描かない様な、やっぱり当事者となっていないと分からない部分があるからかもしれない。とっても素晴らしい作品だ。知るってことは重要だ。漫画でも映画でも触れてみて知る。過ちを繰り返さない為にも知るのは、とっても重要だ。

 

後、関係ない話だけど、僕と同じくらいのペースで展示物を見てる北欧系っぽい女の子がいて、なんども会ってしまうし、目があってしまったりでドキドキした。もう会えないんやろなぁとか思った僕は浮気者でしょうか。みっちゃん...。

 

色々と書きたいけど、色んな事を改めて考えさせてくれる様な所だったので一度行ってみて欲しいと思った。後、広島ひとり旅①の記事で亡くなった人の名前について取り上げたが、原爆ドーム周辺で様々な展示を通して、『君の名は。』じゃないけど、如何に「名前」が重要であるかを知った。”亡くなった人”と”名前”が一致するのって、どのくらいの労力がいるんだろう。沢山の人が亡くなって、血眼で探したのだ。なんだか想像できない。この間、祖母の家で若い頃(中高生)に郵便局で遅くまで働いていた話を聞いた。空に火の閃光だかが見えて怖くて急いで帰ったらしい。「なんで、そんな前のこと覚えてるの?」と聞くと「忘れる訳ないよ、機関銃の音とか聞こえて怖かったんだよ」と言った。『この世界の片隅に』のすずさんは生きてたら祖母と同じ90歳くらいで、そのすずさんと同じ様な体験や当時の生活の営みを、その時に沢山聞いた。信じられないが本当のことだ。最近、色々なことを知った。広島城でも、地元のお爺ちゃんが旅行中の母親と高校生くらいの女の子に「色々と触れて見てみる事が成長の第一歩だから、多くに触れてみなさい」と言っていたので僕も色々と触れてみようと思った。帰りにスタッフゥ〜(何かと話題なので使って見た。僕は大好きな芸人)が声を掛けてくれて、見所を教えてくれた。どうやら広島レストハウスという場所らしい。「どこいくの?ここ行った?どこから来たの?え、千葉?『この世界の片隅に』の冒頭に出て来たんだけど、覚えてない?じゃあ、行って見てよ』とマシンガンの様なトークで当時の話を聞かせてくれた。どうやら地下1階にいた1人の方が原発投下後に生き残ったという話らしいです。因みに原爆ドームから歩いて5分ほどの距離だ。

 

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まさか今日も幾つか、聖地を回れるなんて思ってもみなかったので話を聞いて良かった。もしかしたら僕が事前に熟読していれば更に楽しめたのか。でも情報なしでも全然楽しかったなぁ。東京の方に帰ったら改めて映画見に行かなきゃ!

 

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そういえば、一番最初(広島ひとり旅①)に挙げた「相生橋」は違くて、こっちがすずさんと周作さんが出会った所みたいです。間違えました。すずさんは、海苔を売りに広島市(?)に来てたから、そうか。調べ不足だ。あれ、嫁ぐ前はどこに居たんだっけ。帰ったら漫画読み直そう。

 

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最後に見たいと思って、昨日見に来たけど、改めて見て来た。”平和”についてとか色んな事を考えた。平和なんてと言う人がいるかもしれないが、まずは一人一人が考えてみるのが重要だ。だって世界の人々が、ここに来て同じ様な事を考え。思っていた筈なのだ。正直な所、僕はあまり上手く言語化できなかった。僕が二日間かけて見てきた物はなんだったんだろう。どういう感情を抱けばいいのだろう。そんな事ばかりが脳裏をよぎる。平和ってなんやろなぁ。

 

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対話ノートという物があり、色んな国の言葉で思いの丈が語れていた。読みづらいけど、Let's play for peace !(平和を願おう!)というのがシンプルで、とってもいいと思って、思わずパシャり。

 

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駅で買った駅弁 あなごめしを食べながら思い返し書きました。僕は普段、色んな事を考えて、いつの間にか忘れてたりするので今回の旅をブログに記しました。色んな”人”に触れて、この世界の様々な”片隅”に触れる事ができて良かった。僕は広島が大好きになったし、勝手に第二の故郷認定をしてしまいました。今とっても寂しいから、また行こう。では少しでも読んで気になったら、行ってみた下さい!読んでくれた方ありがとうございます。

 

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広島ひとり旅② 銭湯の話とか。

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前回の続きですが、4〜5時間歩き続けて汗をかいたので、呉にある大和温泉物語(呉市の健康ランド)【スーパー銭湯広島県検索】へ行って、ひとっ風呂浴びてきた。正直、僕は”ちんこ”が小さくて恥ずかしいので同性同士でも裸になるのは、とてもじゃないが嫌な事なのだ。しかし疲れ果ててしまったので止むを得なかった。このスーパー銭湯は高いだけあって結構な充実の設備で、初めて電気風呂なる物に入って本当にビックリして一人で「わーっ」とか「うおお」とかリアクションしてたら知らないおじさんと仲良くなった。そしてサウナも入ったが、サウナでマツコ・デラックスの番組を知らない人たちと見るというのも、中々、粋な事だなと思った。サウナってどうしても周りの人たちと競っちゃうような気がして僕は少し疲れる。僕が勝手にしている事なのだが「この人よりは長く居よう」とか「ちょっと余裕見せる為に涼しい顔してみよう」とか下らない競争心が生まれてしまったりしちゃうのである。関係ない事だが僕はサウナと聞くと『ゴジラ対メカゴジラ』でエイリアンが人間を殺す為に行った「高温サウナ殺し」を思い出してしまうのだ。”サウナで耐久上映”という企画をやったら面白いかもしれないが、2時間の映画だったら何回くらい、シャワーで汗を洗い流したり、水風呂入ってを繰り返すだろうか(笑)そもそも冬の映画館って着込んで行ってるのに空調とかおかしいくらいに暑い所があるから、もう実現している気がしなくもない。


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一度荷物を降ろしたいと思いホテルへ行く為に、一旦、呉線で広島に戻り、広島から路面電車で八丁堀という駅に向かう。路面電車の丸っこいデザインが好きで何枚も写真を撮ってしまった。なんとなく路面電車が走るのもそうだし、街並みといい函館に似た感じが広島にはある気がします。後は、そこだけ歴史が切り取られて取り残された様な場所だったりが多い。戦時中の戦時遺構と呼ばれる物で、函館の函館山に行った時に(元々は軍事要塞)砲台跡やトーチカ*1といった物を見た(トーチカは観光的な場所から外れた場所を一時間程歩かないと見られないので疲れた気がする)。広島を歩いていて気付いたのですが、呉と違って広島の方は中々、可愛い子というか都会的な子が多いような気がした。僕が泊まるホテル周辺は都会みたいで夜も喧騒が聞こえてきそうな気さえする。とりあえずホテルで少しだけ休んで、徒歩10分ほどで着くみたいなのでユネスコ世界遺産にもなっている「原爆ドーム」を見に行った。因みに広島に着いたあたりから雪が降り出して寒い。


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原爆の子と原爆ドーム。教科書とかでは何度も見た事あったのに生は初めてで圧巻で、美しさすら感じてしまった。廃墟が好きな人の気持ちが分からなくもない。

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前回のブログで、すずさんと周作さんが初めて出会った場所として相生橋を挙げたけど、ここにも相生橋があるってどういう事だろ。この辺はサラーっと見て、ホテルのお風呂じゃ味気ないので気になっていた銭湯に向かった。



が、どうやら調べ不足みたいで第4日曜日は営業をしていなかった。広島の名湯とだけあって残念だ。しょうがないかぁと思い上の看板のフィリピンクラブ「エブリナイト」へ颯爽と足を運んだのだ(嘘)。しょうがないから、ご飯を探したのだ。そういえば観光ばっかりに集中していたせいで昼食もまだだった。


なんとなくホテルの近くにある「最強濃厚らーめん ばり馬」に入った。(写真は改めて次の日の朝撮ったので明るい)


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注文したのは人気メニューっぽい「ばり馬味玉」(税込¥788円)だ。僕はラーメンが嫌いだが、これは美味しかったので非常に満足。中々、美味しそうないい写真が撮れた気がするのですが、どうでしょう。僕は普段ラーメンを食べないので、この味玉が普通の卵の様にツッパてなくて箸で掴むとグニョッっと柔かくてビックリした。麺も沖縄のソーキソバみたいな少し硬い感じで噛みごたえがあって美味い(そういや食レポもやった事ない)。それなりに有名なお店らしいのだが、空いていたしホテルを出て50m程の距離にあったのでラッキーでした。何だか広島っぽい物を食べられていない気がするので、明日はお好み焼きでも何でも食べたいと思う。こんな感じで適当にぶらぶらしていた。後は本屋とか何軒か回った。旅行って全く違う景色で驚きの連続なんだけど、本屋はどこも同じようなので落ち着くのだ。最近好きな西野七瀬さんがハマってる『ランド』の1巻を見つけて、つい購入したしまった...。もっとゆっくりしたいが、今回はバイトの都合で一泊二日なので、明日の夕方頃に帰る予定である。どこか一箇所くら行けたらいいですが。宮島の方とか厳島神社を考えてるけど、平和記念公園でゆっくりして帰ろうかなぁ。迷う。とりあえず適当に撮った写真を載せておきます。今日は眠すぎるし、早く寝よう。


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動くものを撮ったので、こんな感じになってしまった。こういう刹那的な瞬間こそが美であったりするので、これでいいんや。

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*1:鉄筋コンクリートの防御陣地

広島ひとり旅 ①『この世界の片隅に』の舞台・呉市

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いま広島にいます。特に目的はなく森見登美彦さんの『夜行』と『この世界の片隅に』を見て、ただ行ってみたくなったのです。ファンが迷惑を掛けているみたいな噂をTwitterで見たので聖地巡りとかする予定はありませんでしたが、事の成り行きでする事になったので色々と旅の記録として書いて行きます!

 

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始発でかなりギリギリでしたので焦ったが無事にお弁当も買って新幹線に乗った。食に大して執着もないので、旅をした時でも吉野家に行ってしまうのですが今日は牛丼3倍分くらいの値段のお弁当を思い切って買ってみました(味は普通!)。食べたご飯の写真を撮る文化がないので、めちゃくちゃ不味そうに撮れてしまったのだが、インスタによく挙げている人とか凄いんだな。よって今回は割愛して次回なにか載せる。

 

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新幹線での3時間50分は読書に充てるつもりでしたが、景色を見たり、朝イチ偏頭痛になって服用した薬の副作用で体がダルすぎて、うなだれたりしていたら、あっという間に到着しました。何の予定も立てて無かったので新幹線で少し調べたら「大和ミュージアム」という所があるらしく、広島に到着後、JR呉線にのり『この世界の片隅に』の舞台である”呉”へ向かいました。向かい側に座る老婦人と一生懸命に景色を眺めていたのですが、なんだか不思議な感じだ。

 

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そんなこんなで呉に付くと、お目当の場所に凄いのがあった。すずさんが劇中で描こうと思ってしまう気持ちが分かる。早速入ってみると、戦時中に活躍した戦艦大和の設計図があったりと貴重な資料が沢山あって知らない僕でもテンションが上がらずにはいられなかった。それらの一つに”「大和」に乗っていた人々”という展示コーナーがあった。大和に乗っていた人々の写真と名前が掲載されており、そこには遺書や手記も展示されていた(向かい側には名前だけの展示も)。名前の下に出身地の情報が記載されており、亡くなった方には赤い文字で「戦死」、生き延びた方には黄色い文字で「生還」と書かれていた。僕がそれを興味深く見ていると、すぐ隣で4歳くらいの男の子が「バクダンがおちたんやな、バクダンがおちた」と能天気な声で独り言を呟いたので僕が話しかけられたのかと思ってギョッとした。更に男の子は一人で語りを続ける。

 

アカがシンダヒト、キイロがイきてかえったヒト、アカばっかり、アカはしんだヒト、バクダンがおちてみんなシンダんやな、イきてかえったってかいてアルけど、ぜったいシンデるやん、なんでバクダンおとしたん・・・?

 

これは僕の横で話していた男の子の言葉を文字にしてみたのですが、男の子の目の前には亡くなった方の遺書があったりと、そんな「空間」でひたすら純粋にその理由を求める男の子の歪さに心の中で恐怖と笑いが起こった。なんだか展示に集中できなくなって、その男の子の言葉ばかりが頭に浮かんでしまう。僕は、この展示の向かい側にある名前だけのコーナーで多くの人を表す名前が書かれていて色な方の人生がそこにあったんだなぁと興味深く思うのだが、どこか違和感を感じていた。そして、その男の子はそれには目もくれない。男の子にとっては「生」か「死」で語ることが何より重要で所謂それは、そこに書いてある人々の記号性だったり人生すら否定されてしまうのだ。でも確かにそうかもしれない。ただ、そこに亡くなった人の名前が厖大な量で書かれている事に大して、大抵の人は興味をそそられないのでは無いかと思った。どこの誰かも分からない、架空かもしれない、そんな”名前”もしくは”文字”に「生」か「死」を与える事で”リアリティ”を生み出そうとしているのかもしれないと、先ほど感じた違和感の答えが男の子の「語り」によって導き出された気がした。何を言っているんだと思われるかもしれないが、こうやって不気味な、分からない”何か”について考えに耽るのが大好きなのだ。でもこの時は、その純粋さゆえの恐ろしさみたいな物に怖くなって、すぐにそこを出た。

 

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で、展示をある程度見たらロビーに『この世界の片隅に』に出てきた場所を載せたMAPが飾ってあったので記念に写真を撮ってたら「それ撮らなくてもあげますよ!」と親切そうなおばちゃんスタッフに声をかけられMAPを頂いて、道案内までして貰ったので聖地巡りをしてみる事にしました。「若いんだから歩いて行けるわよ」「そうよそうよ」と言われたので歩く事にしたが、これがとんでもなく果てしない道のりで、めちゃめちゃ疲れることを僕は知る由もなかった。もう22歳だし若くない気がする。

 

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大和ミュージアムを出て右へ、ずっと真っ直ぐ進む。このくらいの距離なら序の口で、道を間違えたりで右往左往して半端なく疲れました。そして、ここは近くに海軍自衛官の方々の施設があるらしく塀が高い。MAPの右の方にある呉の美術館の近くで作品にも登場した”病院の階段”へ向かいたいのだが道が分からず、自衛官の方お二人に伺ったのが、ちゃんとした場所(実際めちゃくちゃ近くだった)を知らないらしく結局は自力で美術館を見つけた。しかし凄く優しい自衛官の方だったので感謝だ。で、ようやく美術館の近くにたどり着いたのですが、原付に乗った八百屋のおばちゃんみたいな方に声をかけられた。

 

「美術館行きなさいな?行ったらいいじゃない、せっかくだから」。美術館も行きたいと思ってますが、まずは階段を撮ってからだと考えていたので「考えておきます」と適当にあしらったら原付で追いかけてきて「せっかくだから見た方がええよ、見にきたんでしょ」と言われたので渋々承諾すると嬉しそうに原付で颯爽と帰って行ったのですが何だったのだ。でも、こうやって一人で歩いているだけでも”何か”出会いや”物語”が生まれてしまうというのは面白い事だ。一人旅ってこういう物かと初めて分かった気がした。

 

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結局、”アルフォンス・ミュシャ”の展示は気になっていたし丁度良かったので、おばちゃんに感謝だ。でも八百屋で働いていそうなおばちゃんも”ミュシャ”に興味があるのだろうか。人は見かけによらないとは、この事だ。そんなに知らないのだけど、とにかくどの絵も曲線美が美しくて、円の連続性が見ていて心地がいい。色んな形の物が「これでもか!」という位に完璧に配置されてる事に衝撃を受けた。3月には東京で展示がやるはずなので、改めて見返したい。ミュシャと言えばチェコプラハ出身であるので、僕は3月にプラハへ旅行に行く予定で、ミュシャにまつわる場所に行けたらなと考えています。

 

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そしてようやく目当ての階段を撮る事が出来た。少し違うけど、調べて見たらここらしい。うろ覚えだけど、周作さんのお父さんが行方不明になっていて、この病院にいたってエピソードで、この後に悲劇が起こってしまうんですよね。ファンならストーリーを思い出しながら浸れます。

 

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色々とぶらぶらして...

 

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戦後ヤミ市があったとされる場所、周作さんのお姉さんが元いた(?)帽子屋と順々に巡礼していって、澤原邸を目指したんだけど、この地図がよく分からず辿り着けなかったので、途方にくれてあるいていて場所を確認するために立ち止まったら...

 

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すずさんと周作さんが初めて会った(怪物に攫われそうになったところ?)相生橋に辿り着いた。

 

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後ここは少し違うけど、小春橋だ。確か、すずさんに気を使って周作さんが街に連れ出す場面で海兵隊の人が多くて映画が見れなくて、この橋に来たとかだった気がするけど、全然覚えてない!こんな感じで、朝から夕方まで渡り歩いてヘトヘトだったので、ある所に向かいました......(広島ひとり旅②へ続く)

 

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20 Best Movie of 2016.

この時期になると雑誌「映画秘宝」にてベスト&トホホ10と題して優れた映画と惜しくも刺さらなかった映画が評論家や著名人たちによって選ばれる。僕はTwitterで毎年の様に、年間の映画ベスト10と題して順不同で作品を挙げている。今年はブログを始めたのでTwitterとは別に色々と去年を思い返しながら改めてベスト20として挙げていく。





1位 片渕須直この世界の片隅に

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2位 黒沢清『クリーピー 偽りの隣人』

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3位 トッド・ヘインズ『キャロル』

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4位 是枝裕和『海よりもまだ深く』

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5位 ドゥニ・ヴィルヌーヴ『メッセージ』

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6位 西川美和永い言い訳

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7位 樋口真嗣シン・ゴジラ

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8位 深田晃司『淵に立つ』

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9位 クリント・イーストウッドハドソン川の奇跡

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10位 ジェフ・ニコルズ『ミッドナイト・スペシャル』

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11位 中村義洋残穢-住んではいけない部屋-』

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12位 ジョン・ワッツ『コップ・カー』

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13位 アレックス・ガーランドエクス・マキナ

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14位 新海誠君の名は。

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15位 ジョン・カーニー『シング・ストリート』

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16位 リチャード・リンクレイター『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』

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17位 ジョン・クローリー『ブルックリン』

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18位 李相日『怒り』

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19位 岩井俊二リップヴァンウィンクルの花嫁』

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20位 阪本順治『団地』

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あまり順位をつけるのは得意ではないのだが、パッと思いつく順に挙げてみた。その中の『メッセージ』と『ミッドナイト・スペシャル』に至っては、日本ではもう少し先にならないと見れない。山戸監督の『溺れるナイフ』とか入れたいの沢山あったけど、こうなった。今回挙げた作品については、改めて見返してブログに感想を書く予定だ。去年は例年通り300本以上の映画を観賞できたが、今年に入ってから、ほとんど映画を見ていない。一昨日辺りに試写会で『世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方』(2017年2月11日公開予定)という映画を見たのだが、とんでもなく狂った作品だったし、思い出すだけでも恐ろしいので感想は控える。今年は社会人になってしまうので、あまり映画を見られない気がするなぁ。

岸政彦『断片的なものの社会学』とドラマ『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』

社会学という言葉を聞いて何を思うだろうか。一般的に社会学(sociology)は、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問であるとされている。ちょっと小難しい事の様に聞こえるが、これが本当に本当に面白い。学校のゼミで僕は社会学についてを少しばかり勉強したのだが、お世辞でもなく、その面白さを前にして体を小刻みに震わせてしまった程だ。勉強が嫌いであった僕は社会学に触れる事で初めて勉強が楽しいと感じた気がしている。でも正直、社会学って今でもよく分からない。その学問についてではなく、社会学者の行動が常軌を逸脱している気がするのだ。社会学者の佐藤郁也が書いた『暴走族のエスノグラフィー―モードの叛乱と文化の呪縛』をご存知だろうか。エスノグラフィーとは集団や社会の行動様式をフィールドワークによって調査・記録する手法であって、この社会学者の佐藤郁也さんは実際に暴走族と生活を行う事で、彼らの「まなざし」の先にある社会を導き出すという事を社会学の手法を持ってして行っている。ちょっとビックリする様な出来事であるが、僕が社会学に対して興味を持ったのが、この本であるのだ。何となく社会学がどんな物か分かった人もいるかもしれないが、僕たち人間が触れる様々な物は社会学に結びつくし、全然(前前前世から)と言ってもいい程に社会と関係なさそうな事柄からも社会は見えてくる物なのだ。そんな社会学を使って僕は”ゾンビ”について研究し卒業論文を執筆した。”ゾンビ”という独自の物差しで社会に対する「まなざし」を捉える事にしたのだ。「え、ゾンビ?」と一見、関係のない物と感じるかもしれないのですが、それが結びつく面白さが社会学なのである。このゾンビの卒業論文については、いつかこのブログでも少し触れようと思います。実は以前ブログで紹介したダルデンヌ兄弟の『ある子供』という作品は、そんな社会学的視点から分析をしてみたので、社会学がどんな物か気になった方には、是非とも読んで頂きたい。毎度ながらブログの導入部は、こんな感じでいいのかなと迷いつつ書いていますが、ここから岸政彦さんの『断片的なものの社会学』という本を紹介していきたいと思います。(ずっと読みたいと思ってたのに、岸政彦さんが芥川賞候補になっていて思い出した。)


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この本は、奇妙な「外部」に読者を連れていく。
大冒険ではない。奇妙に断片的なシーンの集まりとしての社会。一瞬きらめく違和感。
それらを映画的につないでいく著者の編集技術には、ズルさを感じもする。美しすぎる。


哲学者の千葉雅也さんの帯文が、かなり適切に端的に本書の内容を言い当てている気がするのでそのまま引用した。僕も読んでみて思ったが、道ばたに落ちている「小石」という断片的な物が、まるで世界を作り上げる小さな美しき物質であるという事をサラリと言ってしまう驚き。この「小石」の話がとんでもなく面白い物で、この話を通して岸政彦さんの世界に対する「まなざし」が垣間見えた気がしたので、ちょっと多めに本文から引用しますが、出来れば読んでいただきたい。きっと世界の見え方が変わる筈!

 さきにも書いたが、小学校に入る前ぐらいのときに妙な癖があって、道ばたに落ちている小石を適当に拾い上げ、そのたまたま拾われた石をいつまでもじっと眺めていた。私を惹きつけたのは、無数にある小石のひとつでしかないものが、「この小石」になる不思議な瞬間である。


 私は一度も、それらに感情移入をしたことがなかった。名前をつけて擬人化したり、自分の孤独を投影したり、小石と自分との密かな会話を想像したりしたことも、一度もなかった。そのへんの道ばたに転がっている無数の小石のなかから無作為にひとつを選びとり、手のひらに乗せて顔を近づけ、ぐっと意識を集中して見つめていると、しだいにそのとりたてて特徴のない小石の形、色、つや、表面の模様や傷がくっきりと浮かび上がってきて、他のどの小石とも違った、世界にひとつの「この小石」になる瞬間が訪れる。そしてその時、この小石がまさに世界のどの小石とも違うということが明らかになってくる。そこのことに陶酔していたのである。


 そしてさらに、世界中のすべての小石がそれぞれの形や色、つや、模様、傷を持った「小石」である、といううことの、その想像をはるかに超えた「厖大(ぼうだい)さ」を、必死に想像しようとしていた。いかなる感情も擬人化もないところにある、「すべてのもの」が「このこれ」であることの、その単純なとんでもなさ。そのなかで個別であることの、意味のなさ。


 これは「何の意味もないように見えるものも、手にとってみるとかけがえのない固有存在であることが明らかになる」というような、ありきたりな「発見のストーリー」なのではない。


 私の手のひらに乗っていた小石は、それぞれかけがえのない、世界にひとつしかないものだった。そして世界にひとつしかないものが、世界中に無数に転がっているのだ。


少年時代のちょっと変わった経験の様に思えた”ありふれた話”が最後の最後で、まるで世界の見え方が反転する様な、そんな驚きを与えてくれた様に僕は思う。そして改めてSMAPの『世界に一つだけの花』の歌詞を一言一句、咀嚼しながら聴かねばならぬのである(そんな事はないか)。でも言っている事は至極当然で当たり前な事なのだ。ただ、僕らは、完成した大きな物を”当たり前な物”として疑問も持たず捉えているのだ。例えばだが、どこにでもある自動販売のジュースは、どこで作られ、どこの誰が運んでいるのか。別にコカコーラなんて好きじゃない人が作っていて、運んでる人はペプシ派かもしれない。当たり前の様に朝届く新聞は誰が届けてきたのか、もしかしたら時間のない大学生が早朝だけでもとバイトをしているのかもしれない。いつも本を購入する書店の書店員は、当たり前の様に書店のレジに立っているけど、一人一人はみんな違って、そんな違う一人一人が集まる”場所”には多くの人生が集約されていて、そして、それが世界を構築しているのだ。「小石」だって「人間」だって世界にとっては、小さな一つで、同列の存在で、手に取った「この小石」にも人生があり、世界に一つしかないものである気がした。「小石」一つでも、どこから来て、誰がここまで運んで来たかとか、そんな一人一人、一つ一つの人生を想像するだけで世界は楽しくなるよねと、そんな話なのだ。そして、その様な事を考えて想像された世界は、非常に「物語的」と言えるのではないか。

ちょっと小難しい事ばかり書いてしまったので、ここで石原さとみ主演のドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』について取り上げよう。その中でも第9話で、『断片的なものの社会学』を読んでいる時と同じ様な感動を得た様な気がしたので、それについて少しだけ書きます。菅田将暉が演じた折原幸人(ペンネーム:是永是之)という登場人物は、モデルと作家を兼業はしているが、ちょっと変わり者で将来の展望を持たないニヒリスト的な登場人物であるのだが、そんな彼が第9話では”本当に書きたい物”を見つけるのだ。それが”当たり前を当たり前と思ってもらえる仕事”についてだった。石原さとみ演じる河野悦子(通称えっちゃん)は、ファッション雑誌の様な煌びやかで目立つ仕事に憧れていたのだが、そんな夢とは裏腹に誤字・脱字を修正したりする「校閲」という部署に配属され、その地味である仕事に嫌気がさしてしまうのだ。しかし幸人は、えっちゃんのそんな仕事を目の当たりにし尊敬していたのだ。えっちゃんの様に人々の目には止まらない様なニッチな仕事を取材し、僕たちの生活を当たり前な物としている”当たり前を当たり前と思ってもらえる仕事”について書く事を決心するのだ。

当たり前を当たり前にするために頑張るって大事な仕事だよね


こんな事を菅田くんに言われたら、誰だって、僕だって、ときめきが止まらないのだ。本当に第9話が最高だったと言わざるを得ないのは、この菅田くんのセリフに本作の全てが語られている様な気がしてならないからだ。原作にはない「地味にスゴイ!」を入れた意図が、最終回を残すだけとなった第9話で、ついに分かったと思った瞬間に感動して涙が出てしまった。えっちゃんが携わっている校閲という仕事があるからこそ、いま僕は、そして多くの人々は何の不自由もなく本を読めている。そんな風に、ありとあらゆる”当たり前”を疑う事が社会学の面白さでもあるという事だ。ちゅーか、菅田将暉がニッチな仕事を取材してる姿が、まさしく岸政彦さんの様な社会学者が行うフィールドワーク的な調査法であるのだ。実際に岸政彦さんも数々の人々にインタビューを行う事で社会に対しての「まなざし」を捉える訳だ。そして誰もが人生の中では主役であるし、そんな誰かの人生が断片的に映画とか、漫画とか、小説に投影され”ありきたり”と思えたものが、ポップカルチャーを通して、とんでもなく素晴らしい輝きを放つのだ。もし、このドラマを見てない方は是非とも見てください!菅田将暉の言う”えっちゃーん!”が最高なので....



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