チラシのおもて

すきなものについて

広島ひとり旅 ①『この世界の片隅に』の舞台・呉市

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いま広島にいます。特に目的はなく森見登美彦さんの『夜行』と『この世界の片隅に』を見て、ただ行ってみたくなったのです。ファンが迷惑を掛けているみたいな噂をTwitterで見たので聖地巡りとかする予定はありませんでしたが、事の成り行きでする事になったので色々と旅の記録として書いて行きます!

 

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始発でかなりギリギリでしたので焦ったが無事にお弁当も買って新幹線に乗った。食に大して執着もないので、旅をした時でも吉野家に行ってしまうのですが今日は牛丼3倍分くらいの値段のお弁当を思い切って買ってみました(味は普通!)。食べたご飯の写真を撮る文化がないので、めちゃくちゃ不味そうに撮れてしまったのだが、インスタによく挙げている人とか凄いんだな。よって今回は割愛して次回なにか載せる。

 

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新幹線での3時間50分は読書に充てるつもりでしたが、景色を見たり、朝イチ偏頭痛になって服用した薬の副作用で体がダルすぎて、うなだれたりしていたら、あっという間に到着しました。何の予定も立てて無かったので新幹線で少し調べたら「大和ミュージアム」という所があるらしく、広島に到着後、JR呉線にのり『この世界の片隅に』の舞台である”呉”へ向かいました。向かい側に座る老婦人と一生懸命に景色を眺めていたのですが、なんだか不思議な感じだ。

 

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そんなこんなで呉に付くと、お目当の場所に凄いのがあった。すずさんが劇中で描こうと思ってしまう気持ちが分かる。早速入ってみると、戦時中に活躍した戦艦大和の設計図があったりと貴重な資料が沢山あって知らない僕でもテンションが上がらずにはいられなかった。それらの一つに”「大和」に乗っていた人々”という展示コーナーがあった。大和に乗っていた人々の写真と名前が掲載されており、そこには遺書や手記も展示されていた(向かい側には名前だけの展示も)。名前の下に出身地の情報が記載されており、亡くなった方には赤い文字で「戦死」、生き延びた方には黄色い文字で「生還」と書かれていた。僕がそれを興味深く見ていると、すぐ隣で4歳くらいの男の子が「バクダンがおちたんやな、バクダンがおちた」と能天気な声で独り言を呟いたので僕が話しかけられたのかと思ってギョッとした。更に男の子は一人で語りを続ける。

 

アカがシンダヒト、キイロがイきてかえったヒト、アカばっかり、アカはしんだヒト、バクダンがおちてみんなシンダんやな、イきてかえったってかいてアルけど、ぜったいシンデるやん、なんでバクダンおとしたん・・・?

 

これは僕の横で話していた男の子の言葉を文字にしてみたのですが、男の子の目の前には亡くなった方の遺書があったりと、そんな「空間」でひたすら純粋にその理由を求める男の子の歪さに心の中で恐怖と笑いが起こった。なんだか展示に集中できなくなって、その男の子の言葉ばかりが頭に浮かんでしまう。僕は、この展示の向かい側にある名前だけのコーナーで多くの人を表す名前が書かれていて色な方の人生がそこにあったんだなぁと興味深く思うのだが、どこか違和感を感じていた。そして、その男の子はそれには目もくれない。男の子にとっては「生」か「死」で語ることが何より重要で所謂それは、そこに書いてある人々の記号性だったり人生すら否定されてしまうのだ。でも確かにそうかもしれない。ただ、そこに亡くなった人の名前が厖大な量で書かれている事に大して、大抵の人は興味をそそられないのでは無いかと思った。どこの誰かも分からない、架空かもしれない、そんな”名前”もしくは”文字”に「生」か「死」を与える事で”リアリティ”を生み出そうとしているのかもしれないと、先ほど感じた違和感の答えが男の子の「語り」によって導き出された気がした。何を言っているんだと思われるかもしれないが、こうやって不気味な、分からない”何か”について考えに耽るのが大好きなのだ。でもこの時は、その純粋さゆえの恐ろしさみたいな物に怖くなって、すぐにそこを出た。

 

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で、展示をある程度見たらロビーに『この世界の片隅に』に出てきた場所を載せたMAPが飾ってあったので記念に写真を撮ってたら「それ撮らなくてもあげますよ!」と親切そうなおばちゃんスタッフに声をかけられMAPを頂いて、道案内までして貰ったので聖地巡りをしてみる事にしました。「若いんだから歩いて行けるわよ」「そうよそうよ」と言われたので歩く事にしたが、これがとんでもなく果てしない道のりで、めちゃめちゃ疲れることを僕は知る由もなかった。もう22歳だし若くない気がする。

 

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大和ミュージアムを出て右へ、ずっと真っ直ぐ進む。このくらいの距離なら序の口で、道を間違えたりで右往左往して半端なく疲れました。そして、ここは近くに海軍自衛官の方々の施設があるらしく塀が高い。MAPの右の方にある呉の美術館の近くで作品にも登場した”病院の階段”へ向かいたいのだが道が分からず、自衛官の方お二人に伺ったのが、ちゃんとした場所(実際めちゃくちゃ近くだった)を知らないらしく結局は自力で美術館を見つけた。しかし凄く優しい自衛官の方だったので感謝だ。で、ようやく美術館の近くにたどり着いたのですが、原付に乗った八百屋のおばちゃんみたいな方に声をかけられた。

 

「美術館行きなさいな?行ったらいいじゃない、せっかくだから」。美術館も行きたいと思ってますが、まずは階段を撮ってからだと考えていたので「考えておきます」と適当にあしらったら原付で追いかけてきて「せっかくだから見た方がええよ、見にきたんでしょ」と言われたので渋々承諾すると嬉しそうに原付で颯爽と帰って行ったのですが何だったのだ。でも、こうやって一人で歩いているだけでも”何か”出会いや”物語”が生まれてしまうというのは面白い事だ。一人旅ってこういう物かと初めて分かった気がした。

 

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結局、”アルフォンス・ミュシャ”の展示は気になっていたし丁度良かったので、おばちゃんに感謝だ。でも八百屋で働いていそうなおばちゃんも”ミュシャ”に興味があるのだろうか。人は見かけによらないとは、この事だ。そんなに知らないのだけど、とにかくどの絵も曲線美が美しくて、円の連続性が見ていて心地がいい。色んな形の物が「これでもか!」という位に完璧に配置されてる事に衝撃を受けた。3月には東京で展示がやるはずなので、改めて見返したい。ミュシャと言えばチェコプラハ出身であるので、僕は3月にプラハへ旅行に行く予定で、ミュシャにまつわる場所に行けたらなと考えています。

 

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そしてようやく目当ての階段を撮る事が出来た。少し違うけど、調べて見たらここらしい。うろ覚えだけど、周作さんのお父さんが行方不明になっていて、この病院にいたってエピソードで、この後に悲劇が起こってしまうんですよね。ファンならストーリーを思い出しながら浸れます。

 

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色々とぶらぶらして...

 

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戦後ヤミ市があったとされる場所、周作さんのお姉さんが元いた(?)帽子屋と順々に巡礼していって、澤原邸を目指したんだけど、この地図がよく分からず辿り着けなかったので、途方にくれてあるいていて場所を確認するために立ち止まったら...

 

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すずさんと周作さんが初めて会った(怪物に攫われそうになったところ?)相生橋に辿り着いた。

 

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後ここは少し違うけど、小春橋だ。確か、すずさんに気を使って周作さんが街に連れ出す場面で海兵隊の人が多くて映画が見れなくて、この橋に来たとかだった気がするけど、全然覚えてない!こんな感じで、朝から夕方まで渡り歩いてヘトヘトだったので、ある所に向かいました......(広島ひとり旅②へ続く)

 

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