チラシのおもて

すきなものについて

ただのブログ(2017年2月3日 金曜日)

最近は誰かに向けて書くというより、ただ自分の毎日の記録としてブログを書くようにしようかなと思っている。そういえば、よく元カノは僕に見た夢の話をした。でも僕は夢の事なんて忘れてしまうのでしなかった。ただ誰にも話した事がないのだが、小さい頃から体調の悪い時にだけ見る夢のようなものがある。それは今もなお続いている。目を閉じると、当たり前のように真っ暗なのだが、それが無限に広い空間に広がったり、ググゥーと近づいてきたりするという、よく分からない夢なのだが、それがとてつもなく怖い。でも、その夢を見る時は、決まって「また来た!」と病みつきになりそうになるのが何とも不思議で仕方ない。それ故なのか分からないが、ホラーとか怪奇物が好きだ。

少し前に伊藤潤二さんの『溶解教室』を読んだのですが、本当に面白くて次に読んだ『魔の断片』もとてつもない面白さで驚いた。謝られると脳みそが溶けちゃう話とか建物に欲情する女とか解剖されたがる女とか変な話が多いのだが、とてつもなく惹かれてしまう。ただ、その理由がよく分からなくて不思議なのである。


ビニール傘

ビニール傘



そして今日は特に予定もなく家で何もしていないのも何なので散歩をして書店へ行ったり、カフェでケーキを食べながら読書をしていた。以前、読んだ岸政彦さんの『断片的なものの社会学』が面白かったので、つい最近出たばかりの『ビニール傘』をカフェで読んでいた。岸政彦さんらしい「何でもなさ」が溢れているのに、面白くてどんどん読み進めてしまった。誰にでもある「何でもなさ」が読んでいて僕と溶け合っていく感じが、とても良いなぁと思う。『断片的なものの社会学』を読んでから僕は人間観察が好きになった。いや正確には人間以外にもだ。一昨日、30階から40階程あるビルの中の高い階に位置するオフィスで内定先の研修があった。こんな事を言うのはダメな気もするが、窓から見える景色ばかりが気になっていて昼食中も景色ばかり見ていた。見えるのはビルであったり、マンション、行き交う車や人であったり、ごく普通の景色であるのだが、その果てしなさに驚いてしまう。このビルには何人の人がいて、そこにいる人々の一人一人はどんな人生を歩んできたのかとか考えるだけで果てしない。だから僕はNHKの「ドュメント72時間」という、そこに行き交う人々を撮り続けるという番組が大好きだ。去年、放送していた動物園の長寿の象に人々が語り掛ける回とか大好きでたまらなかったし、象を介して人々の人生の断片が垣間見える瞬間が溜まらなく面白かった。今日も放送があるので非常に楽しみだ。後、書店のバイト中は暇が多いので、本棚を見ては、その本にどれだけの人が関わったのか、どんな人がこの本を読むのかとか、そんな事ばかりを考えてしまって、そういう世界の果てしなさに絶望する暇つぶしをしてしまう。以前、僕は死にたいと思ったりした事があったので、そういう果てしなさに絶望する事で、まだまだ生きて多くを知らなければと思う事があるのだ。こんな感じで色んな事を考えてしまうのだが、カフェで『ビニール傘』を読みながらも、隣の席で読書をする女性の本が気になって仕方がなかった。「なに読んでるんですか?」って聞いたら本の話で盛り上がるかもしれないけど、とてもじゃないが恥ずかしくて出来ない。そういう"恥ずかしさ"と探求心を天秤に掛ける時間も好きだったりする。内定者研修で隣になった女性に連絡先を教えようか悩んだ時に天秤に掛けたのも"恥ずかしさ"だった。今年は"恥ずかしさ"に負けないように頑張ろうと思う。大抵、僕は"恥ずかしさ"に負けてしまう訳であるが。


4コマ漫画7話「1日」。背景の描き込みないと手抜きに見える...(汗)

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