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チラシのおもて

すきなものについて

ただのブログ(2017年2月7日 水曜日)

アルバイト先の書店に、書評がどの媒体(基本的に新聞)に載っているかを掲載した一覧がのファイルが置いてあるので暇なときに見ている。そこに「辛酸なめ子」という方の著書が載っていたので、気になって一冊買ってみたら面白かった。



『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)という本なのだが、社会人として如何に飲み会を断るか、あるいは早めに切り上げるかという問題について等を著者が人生において学んだ経験を交えながら惜しみなく綴っている。僕も飲み会が苦手なので共感しまくっては自分の情けなさに何だか辛くなっては、同じ人がいるんだという嬉しい気持ちにもなる、そんな本だった。自分がコミュニケーションが苦手故か、コミュニケーションについての本を見かけたら手に取ることが多い。吉田尚記さんの『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』や奥村隆さんの『反コミュニケーション』、土井隆義さん『友だち地獄』とか色々と読んでみるが、なかなか進歩しない。多分、中高生位の僕を知っている人なら、今の僕がどれだけ会話をする様になったかを分かるかもしれないが、やはり苦手な事に変わりない。1対1のコミュニケーションなら僕は得意なのだが、3人以上になった途端に僕は会話が出来なくなってしまう。というか楽をしてしまう。1対1が1対2になってしまった時に「僕の会話なんて面白くないから、どうぞ2人で話してください」という感じに、その会話の輪から外れてしまうのだ。正直な所、1対1である時は「相手も話し相手がいないから僕に仕方なく話しかけているんだ」と思い込んでいるので、それが苦痛に感じることが多いので、もう1人が来た時は「助かった」と内心ホッとしてしまっているのだ。会話が上手くなりたいとは思うのに、もう如何に会話を避けるかというのが僕の人生の主題になってしまっている気がしてならない。

例えばアルバイト先の書店でレジが3人体制の時は、僕が真ん中の位置に立たないよう努めるようにしている。僕は基本的に話しかけるのが苦手で話さないので、僕が真ん中に立った場合はコミュニケーションが滞ってしまうのだ。もしくは僕の存在を搔き消して、僕を挟んで会話をするのだ。そんな苦痛を感じる時を過ごしたくないが為に、僕は真ん中を避けるのだ。本当は仲良くしたいのだが、何なのだろうか。話し掛けるのって僕にとっては"恥ずかしさ"を伴う物で、どうしても積極的になれない。家族とか親しい友人や彼女であっても、それは変わらず「なに話そう」等と思ったり、話し掛ける際に第一声が中々出なかったりと難しい問題なのだ。後、僕は飲み会の席にほぼ出席しない。「お酒が飲めない」を理由に断っているし、本当に飲めない訳だが、実は会話が苦手だからに他ならない。本当に仲が良ければ、お酒の席にも行くし、多分そういう事だ。1人1人には、合わせるの事が出来るのだが、大勢になると出来上がる場の"ノリ"や"空気"に、どうしても馴染めなくなってしまう。今のバイト先もそうで、そこに既に定着している"ノリ"の様な物が存在していて、僕は入れないと思ってしまうのだ。でも社会人なるからには頑張ろう.....。



8話「平穏」。最近、近所で工事をしているので騒音がすごくて外で読書をするようにしている。しかし苦手な先輩に遭遇してしまった。もう訳が分からないボケを振ってくる方なので、どう返せばいいか分からないのだ。もう嫌だーっという気持ちで描いた。

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