チラシのおもて

すきなものについて

きらたかし『ハイポジ』が最高に青春だった。

僕は女子高生が大好きだ。誤解を招く言い方かもしれないが制服が可愛くて可愛くて、青春で、最高で、僕が着たいくらいであるのだが、それは恥ずかしすぎるので無理だ。巷でセーラー服を着たおじさんが話題になっていたりする訳だし着れるかもしれないが、それは僕の制服への愛がセーラー服おじさんには到底及ばないって事を理解してほしい。というか生温い覚悟で着ちゃいけないのだ。だって、だって、もしかしたら職質されて逮捕されるかもしれないから...!そんな愛すべき制服を否定するかのような曲が秋元康の作詞でありAKB48の『制服が邪魔をする』である。それが歌詞に現れている気がした。

なんで渋谷は夜になるのが こんなに早いの?
ちょっと会っただけ 2人普通に学校帰り
あっという間に門限近くのゲーセン
だって恋の始めは いろいろあるから

あなたは「帰ろうよ」っていい人ぶって言うけど
本音は違うでしょう? ねえ どうするの?
制服が邪魔をする もっと自由に愛されたいの
どこかへ連れて行って 知らない世界の向こう


青春の一部には間違いないのだが、「渋谷」という立地であるのと、夜に「ねえ どうするの?」と女の子が聞いたりするのは何だが不純な物であると感じる。冒頭で制服への愛を少し語ったか、僕が思っている青春と制服の煌びやかさとか、そんな物を微塵も感じられないのが『制服が邪魔をする』だ。それに相対する曲が松田聖子の『制服』であって、少女が卒業証書を胸に抱き、”卒業”を目前に制服を脱ぐという意味を理解するのである。なので制服には思いが詰まってる物だからオークションとかで売らないで大切にして欲しいのだ。では今年から漫画アクションで連載が始まった、きらたかしさんの『ハイポジ』について書いていきます。おい、駅のホームでジャンプ読んでる君!君だよ君、きっと僕の友達!


f:id:gennkissu:20170120110608j:plain

あらすじー
妻に離婚を切り出され、会社もリストラされてしまった46歳の中年男性を描く物語。希望もなく毎日を過ごす彼は、ある日訪れた風俗店で火事に巻き込まれ気を失ってしまう。命を落としたかに思われた彼が目を覚ましたのは、30年前の高校時代で……。


いきなり風俗に通う中年男性の描写で始まるのだが、これが最高に青春だった。中年男性の妄想の様であるが、大学生の僕にとっても高校時代という手を伸ばしても届かない”青春”が羨ましくて堪らないので、これは青春が一度は過ぎ去った人たちに送る最高の青春グラフティなのである。とっても楽しみにしている三浦直之さんという方が主宰している"ロロ"で高校時代を描いたが演劇を上演しているのだが、「まなざし」がテーマにされていて、『ハイポジ』でもそんな「まなざし」によって青春が復活するのである。それは主人公が目を覚ますと「まなざし」の先には高校時代に好きだった女の子が1ページにデカデカと描写される所からも感じられた。もう、すげードキドキが止まらなくなった。主人公の中年男の妻も同じ高校なのであるが、そんなに眼もくれず好きだった本命の女の子”小沢さつき”を「まなざし」で変態さながらに追って追って追いまくるのである。1話から飛ばしすぎだ。これが好きな女の子に対する男の性なので、ブログを見てくれた女性には男心を少しでも理解して欲しいと思う。

小沢さつきの”さつき”と聞いて青春の一部ジャンプを読んでいる読者は思い出さない訳がない。『いちご100%』のメインヒロインの一人である”北大路さつき”だ。『いちご100%』を語りだしたら誰が好きだとか言う話で長くなるので、また別の日に書く予定にしておく。僕的には『いちご100%』は”西野つかさ”なんだけど、最近好きになった乃木坂46の”西野七瀬”を連想せずにはいられない。思った時には写真集をamazonで注文していたし、西野七瀬さんが好きな漫画『子供はわかってあげない』も気づいたら僕の手元にあるのだ。これについても改めて感想を書こう。また脱線しそうになるが、こうやってカルチャーとカルチャーが繋がり合う楽しさが本当に堪らないと僕は思う。

で、こんな事を書いていて思うのが青春って「まなざし」と「繋がりたい」で出来ているのではないか。またまた西野七瀬さんの話になってしまうのですが(ガチ恋ではなく可愛いなと思うくらいなので勘違いしないで欲しい)、好きになった子を自然と「まなざし」で追ってしまうって当然だし、僕が西野七瀬さんの漫画を買ったみたいに好きな子の好きな物を知ろうと「繋がりたい」と思うのは青春にとって切り離せない物であるのだ。そんな「まなざし」と「繋がりたい」が描かれているのが『ハイポジ』なのだ。第1話の後半で「まなざし」で追って眺めているだけではダメだと、「繋がりたい」という一心で小沢さつきに声を掛けるという暴挙に出るのだ。「なにを聴いてるの?」と、さつきに問うと無言で片方のイヤホンを微笑みながら差し出してくれるのだが、その「まなざし」と「繋がりたい」が交じり合い勇気となって「僕」と「君」を音楽だけで繋げてしまうという多幸感。もう堪らなく青春で傑作認定してしまった。後半数ページの独白も青春で青春だったので、とにかく青春が好きな人は読んでみて欲しい。

あの頃の俺ができなかったことをしてやろう

その時イヤホンから聴こえてきたのは中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」だった


翼の折れたエンジェル」は知らなかったので聞きながらブログを書いているのだが、流れでプリプリとか聞き出したら止まらなくなった。如何にも80年代っぽい曲で懐かしさ溢れて何だか寂しくなったのでリアルタイムに80年代が青春だった人たちってどう見るんだろうって気になった。ファッションとか映画とか80年代ブームが最近来ていて、コレだって言葉が見つからないのですが80年代には現代には失われた”何か”があるよね。僕なんてVHSとかカセットテープとか集め出しちゃってるもん。テープの回る感覚とか大好きで、テープを巻き戻しながら80年代に戻らないかなぁとか思いながら一人で切なくなって浸ってしまうのだ。去年公開したリンクレイターの『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』とかも最高でカセットでサントラ買ってしまったなぁ。と、色んな方向に飛んでしまって申し訳ないのですが、高校時代に付き合ったりした事がなかったから制服デートとか本当に憧れで死ぬほど羨ましい。とってもとっても戻りたくなるけど、いつまでも後ろを向いては行けないのだ。まだまだ人生は青春で僕らには出会いが待っている。



実はジャンプの漫画を題材にブログ書きたいなと思い偏愛する仲間りょうの『磯部磯兵衛』についてのブログを書いたのですが、あまりにも下らない下世話な物になってしまったので消した。”候”と”早漏”がどうとか書こうとしてたので消した。だから『いちご100%』にして良かった...。

ダルデンヌ兄弟『ある子供』と虐待問題について。

ゼミの友達が「虐待」についてを題材に卒業論文を書いていて言いたい事は分かるけど、あまり上手く言語化し伝える事が出来ていなかった様に思える為、僕なりに虐待について思った事を書きたいと思った(皆の卒論に突っ込み入れたい気持ちもある。というか発表の時に意見とか言えば良いのにって自分でも思うけど、シャイなので人前で発言するのが恥ずかしいのです...笑)。その卒論の中で語られる虐待を生んでしまう要因の一つが貧困である事には、半分同意で半分反対である。それについては後々、語るが忘れっぽいので語らないかもしれない(笑)あまり自信のない僕だけど、映画という物差しを通じて社会を見つめる事を唯一と言ってもいいくらいに得意としているので、虐待について映画を通して語っていこうと考えています。それって”虐待なの?”と読んでいて思うかもしれないですが、虐待と言っても育児放棄(ネグレクト)だったり、広義な意味での虐待と捉えて欲しい。

育児放棄を題材とした是枝監督の『誰も知らない』(2004)と悩んだが、ベルギー・フランスの合作映画で、ダルデンヌ兄弟(ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ)が監督を務めた『ある子供』(2005)について取り上げたいと思います。他にも異なる社会問題を描いた物ですが、どちらも格差社会を描いた中国のジャ・ジャンクー監督(『罪の手触り』(2013))や韓国のポン・ジュノ(『スノーピアサー』(2013))といったアジアの映画監督の作品も大変素晴らしいのでオススメしたい。僕は同じ様なテーマの映画が同時代に何本も制作される事に大しては必然性があると考えているし、僕が小学生くらいの頃だから10年程前に虐待問題のニュースが盛んに取り沙汰されていたので先ほど挙げた映画と時期が被っている。2004年に児童虐待防止法第2条が改定された事からも、それは伺えるのではないでしょうか(法律の改定で認知度が上がっただけで、それ以前にも虐待はある筈ですが)。では『ある子供』について紹介していきます。とは言っても見たのが2年ほど前で記憶頼りになってしまうので、そこは突っ込みなしで!でも映画には色んな視点があって、人の数だけ解釈がある筈なので、思った事や異論を唱えてくれる人がいたら嬉しい。多分、それも一つの正解だから。後、人気作を叩くとおかしいみたいな風潮があるのは気に入らないというか、とてもおかしな事だと思える。皆が同じ人間じゃないし、全く反論が出ないなんて、ありえない事だ。僕は現代の情報化社会における多様化と均質化は表裏一体なのではと考えています。とても矛盾した物に思えますが、新しい事が生まれても、すぐさま消費され誰もが同じ物を身にまとう時代である様に感じられるのだ(見田宗介さんの著書『現代社会の理論』などを交えて現代の社会や今後について詳しく書いてみたいかも)。なので『君の名は。』の人気もそういう多様性と均質化の共存が理由とも考えられる。で、ようやく『ある子供』の話に移ります!


f:id:gennkissu:20170119113326j:plain

あらすじー
20歳のブリュノと18歳のソニアのカップルは、生活保護給付金とブリュノの盗みから得た金で生計を立てていた。二人に子供が出来たとき、ソニアはブリュノに真面目に働くようにと紹介された仕事を教えるも、ブリュノはそれを断ってしまう。
ある時、ブリュノは子供と外で二人っきりになったのをきっかけに子供を養子として売ってしまい、それを聞いたソニアは卒倒してしてしまう。ブリュノは子供を取り返すもソニアは激しく怒っており、ブリュノを家から追い出してしまう。
その後、ブリュノが再び盗みを働いた際に子分の14歳のスティーブが捕まってしまい、ブリュノが自首して捕まるのであった。


記憶が頼りなので、このあらすじの範囲で語る事にしようと思います。タイトルの”ある子供”とは誰の事を指すか、読みながら考えて下さい。まず20歳のブリュノという青年は間違いなく”ある子供”であるのですが、彼は近所の子供といつまでもふざけあってる様な精神的に子供の様に感じられ、所謂、アダルトチルドレンの様な印象を受ける。アダルトチルドレンとは機能不全家庭で育った事で成人してもなお、幼少時のトラウマなどがあり成長しきれない大人と解釈して欲しい。しかし家庭的な環境は選べなかったりするので、それを否定してはいけないし、彼は、彼を理解してくれる誰かの存在が必要であった気がしてならない。そんな”大人だけど子供”である彼は、欲求のまま好き放題に行動を起こしてしまい付き合っているソニアに愛想をつかされ追い出されてしまうのである。子供を大切にしたり、ブリュノよりは大人の様に見えるソニアだが、お人形遊びをする女の子などを見たりして僕は幼い頃から子供にも母性の様な物が最初から備わっていると考えている為、子供を大切に思う心だけが備わっていたとしてもソニアもブリュノ同様に”大人”ではないのではないかと考えている。

そこで”大人”とは何かという事について考えてしまうが、考えすぎると堂々巡りになってしまうので僕の考える”大人”についての定義を挙げる。それは利己的ではなく、利他的であるという事。まさしく他者理解という点にある。自分の為だけではなく、他者に大して献身的になれる事こそが”大人”の第一歩と言えるのではないでしょうか。そんな観点で”ある子供”は誰かについて考えて行くと、ブリュノを知ろうとせず突き放したソニアも紛れもなく”ある子供”と言えるのではないか、そう感じる。最初に考えて欲しいといった”ある子供”とは、登場人物全員に当てはまる事だと思います。

あまり虐待についての知識がないので思ったより書く事が出来ないのだけど、本作で起こるのは子供を売ってしまうという信じがたい点だ(実際にニュースとかでは見る)。その理由として考えられるのが、やはり貧困という問題の様に思える。そして”大人子供”であるという二点だ。最初に貧困が理由である事について半分同意で半分反対と言ったのは確かにデータとして貧困家庭に起こりがちであると言われているのかもしれないが、お金(収入)で幸せを測れる物ではないという考えが僕の根底にあるからだ。無論、教育に必要なのはお金でもあるが、お金では学べない物もあるという事を言いたいのだ。なので消去法で考えると、僕は”大人子供”が増えてしまった事が虐待の理由の最も大きな要因であると思えて仕方ない。きっと様々な欲望を肯定してしまう「消費社会」のような社会の形にも影響があるのだろうが(長くなりそうなのでここでは省くが)。やはり身近にも”大人子供”の存在の増加が伺える。果たして僕が定義した”大人”であると胸を張って言える人間がどれほどいるだろうか。こんな分析をしている僕だって”ある子供”なのだ。

出来ちゃった結婚とか聞くけど、子供が子供のまま大人に成長してしまい責任も取れない状態で、子供を育て虐待に繋がってしまう事はとても悲しい出来事だ。でもやっぱり、この話には貧困が繋がってくるし半分賛成であるのだ。教育がし易い社会というのが実現したら、きっと良い社会になると思うけど、それが出来ないのが現実だ。この問題には正解がないし、多くの人が現場をしって考えていく事が重要な気がする。ダルデンヌ兄弟の作品は、ほとんどがこういう社会派ドラマであったり、映画という物は様々な社会を”知る”為の虚構であり現実であるのだ。しかし映画の感想をちゃんと書くって凄く労力がいるなぁ。「あー、面白かった」で済ましてしまいがちなのでブログ始めて良かった。

うつ病になった僕が田中圭一さんの『うつヌケ』を読んだ。

僕がブログを始めた最初の記事で、ちょろっと触れたのですが、僕は”うつ病”でした。いや正確にはカウンセラーや病院に行って診察を受けたわけでは無いので確かではないのですが、うつ病に近い状態だった。僕にとって初めて人を、本当の意味で好きになったと感じる付き合いだった女の子に振られてしまった”喪失感”が引き起こした物であるのではないかなと思っています。何としても話したい一心で何度も連絡したり、会いに行ったりして本当の意味でストーカーになりつつあった。いや、今だから言ってしまうのですが、実際に通報されて家に警察が来て事情聴取された。本当に絶望的な気持ちになったし、何もかも否定された気分で毎日死にたいと思って自殺サイトの様な物を見たりもした。そんなうつ病になり掛けの時期には(今は辞めてしまったが)映画館のアルバイトをやっていて、アルバイトに向かう為に足を運ぶ駅のホームで何度も死のうと考えた。アルバイト中も何とか気持ちを押し殺して、押し殺した。それも長くは続かず「もう行けません」と連絡をし、学校も行かず、とにかく好きな事をした。従兄弟の兄貴分であるKちゃんには何度も相談して優しい言葉を掛けて貰ったし、その親友のMくんの言葉と演劇(「いつ高」)にはとっても救われた。後は両親もそうだし、アルバイト先で最も信頼を寄せていたKさんは本当に頼りにしてて何度も何度も相談をしたのに、正論ばかり言われてしまった事がうつ病だった僕には精神的に辛かった為に連絡先をブロックしてしまった事を謝りたいし、今ならKさんの言葉が正しかったというのが身に染みています。たまにポケモンで対戦する親友のMくんには少し当たってしまった気がするので謝りたい。(なんかイニシャルがKとMばかりや!)後、心配してくれた友達にも感謝だ。そして、ようやく元気を取り戻した僕が出会った本が田中圭一さんの『うつヌケ』という漫画である。


f:id:gennkissu:20170119011731j:plain

本の簡単な内容ー
パロディマンガの巨星がマジに描いた、明日は我が身のうつ病脱出コミック!

著者自身のうつ病脱出体験をベースにうつ病からの脱出に成功した人たちをレポート。うつ病について実体験から知識を学べ、かつ悩みを分かち合い勇気付けられる、画期的なドキュメンタリーコミック!


完全に手塚治虫のパクリっぽさMAXで、見るからに怪しいのに思わず手にとってしまった事を嬉しく思います。パクリというかパロディですが僕はそういうの大好きなので、愛すべき大好きな奴だった。しかし日本はパロディについてパクリだと煩いのは何故なんだろう。ある作品をパロディにして面白おかしくする事で社会風刺を描く、そんな感じで奥深さすら感じさせる気がするのだけれど、それが気に食わない人たちがメディアとかで言っちゃうんだろうなぁ...。と、脱線し掛けましたが、この漫画では様々な人のうつ病体験が語られて行くのだが最も近い症状が著者の田中圭一さんだと思った。


f:id:gennkissu:20170119014107j:plain


この様に漫画という形式で田中圭一さんの経験が紡がれていく訳だが、まさしく僕もこの様な状態であった。他者には理解されない辛さが、いつまでもいつまでも付きまとい毎日の様にモヤモヤが続く。本を読む気にもなれないし、映画を見ても何も入ってこない。それで数ヶ月間、映画を見ていない時期があって、つい先日ゼミの仲間にそれを話したら(映画好きで通っているので)とんでもなく驚かれたので、本当に異常な時期だった事が分かった。今思うと笑える経験では、あるのですが、どう脱したらいいのか分からない恐怖や不安で押しつぶされてしまい本当に辛い時期だったという記憶だけが残っている。そのゼミの仲間の父親うつ病らしく「うつ病の人には頑張れって言っちゃいけない」とか、うつ病の人に対する接し方について等を話していた時には、本当にうつ病になってしまった同じ様な方々が、いつか心から笑える様になって欲しいと思いました。

本作品の第3話では、うつ病を脱したと思ったら再発してしまう「突然リターン」についてが語られる。本当に治ったと思ったら突然の様にやってくるのが恐ろしい事この上ない。著者の方の分析によると、「突然リターン」はこの様な事らしい。

うつ病は、ある日を境に急によくなる訳ではありません。
一進一退を繰り返しながら徐々に良くなっていくのです。


本当にその通りで、情緒不安定な状態が続いて安定したかと思ったら突然のように振り返したりを繰り返して、ようやく脱する事が出来るのである。この幾度の「突然リターン」にも、優しく応じてくれた従兄弟のKちゃんには迷惑を掛けてしまったので本当に感謝しています。で、田中圭一さんによると、うつ病は気圧や気温の変化で陥りやすかったりがあるらしいが僕には当てはまらないようで、色んなパターンがある事が複数の実体験で語られているので、どれかしらに当てはまるのではないかなと思います。今回『カブールの園』*1という小説で芥川賞候補に入ってる宮内さんの経験も語られてます!サブカル詳しい人は「えっ、あの人も?!」って言う人の体験談を覗けるかもしれません。

ある程度読んでみると、多くの人は自分に自信が無かったり自己肯定感が低い様に思える。僕もそうで何もかも自信がないのである。顔もそうだし、コミュニケーションが苦手な自分が本当に嫌いで仕方がない。それでも誰かに必要とされたいのが人間であって、「自分は必要とされないんだ」と思って考え込んでしまうと余計に悪化してしまう。だから少しでも自分を好きになろうと思ったし、「うつトンネル」を抜けた事で成長した部分があるって今は思えているので、僕は一度うつ病になって良かったと思った。本当に辛い経験である事は間違いないですが。少し逸れますが『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で知られるラース・フォン・トリアー*2の『アンチクライスト』という作品は、確か監督がうつ病の時に制作された物で僕的にかなり意味不明で難解な作品に思えていたので、うつ病になった経験が『アンチクライスト』及び『メランコリア』という作品についての解釈を深める物かもしれないと、前向きに思えている。どんなに素晴らしい作品でも、何か現実と地続きで接点が無ければ感じ取れない部分もあるのではと考えているので、やはりうつ病という経験によって以前は得られなかった視点が生まれる気がしている。

せっかくポップカルチャーへの愛を綴るブログだと謳っている訳だし、うつ病の時に元気を貰った音楽を紹介したい。これも落ち込んでたらKちゃんが教えてくれた!笑


FOREVER

FOREVER


それはEnjoy Music Club(略してEMC)のアルバム「FOREVER」だ。もうとにかく曲全体がポジティブに包まれているのだが、根拠のない自信というか、”とりあえずポジティブに歌っとこうぜ”感みたいなユルさが丁度いいし、”僕”と”あの子”しかそこには存在していないかの様な青春が描かれているし、リリックに溢れ出る現実との距離感に共感しまくれるのが最高で最高すぎる点といっても過言ではない。特にお気に入りは「EMCのラップ道」。

やりたい事は沢山あるけど やりたい様に上手くできない
でも、こっから始めよう 何かを今から始めよう
言いたい事は特にないよ それでも上手く行けば採用

あいつも俺も ENJOY MUSIC CLUB
年末年始も ENJOY MUSIC CLUB


”とりあえずポジティブに歌っとこうぜ”って書いたみたいに、とりあえずやってみようから始まって、それって凄く大切な事なのではないかと僕は思う。失敗したっていい、下手でもいい、そんなポジティブさ全開で元気100倍アンパンマン精神にさせてくれる。いつかライブを見に行こう。後はSMAP*3の曲とかひたすら聴いてました。本当に音楽の力っていいなって再認識。そういうのって当たり前のことになってるから、当たり前に日々感謝することも大切だと思った。後は色んな出会いに感謝。なんか色んな人に優しくなりたいなって思うのと同時に、同じ様に苦しむ人に手を差し伸べたいです。この漫画を見て「同じ経験をした人が沢山いるんだ!」って勇気付けられたし、うつ病を改善する方法は同じ経験をした人による自己理解と他者理解を上手く共存させる事ではないかと思った。自己を知る事は他者の理解に繋がるし、逆もまた然りではないでしょうか。勿論、経験をした事ない家族や友人の言葉も大切なので、周りに落ち込んでる人がいたら迷いなく助けてあげて欲しい。

そして『うつヌケ』も超絶オススメしたいので是非読んでほしい。うつ病じゃなくても落ち込んだり、ある種の行きづらさを感じる人に響く内容になっている。そして皆が笑顔で、優しさで包まれる世界になって欲しいと心から思った。僕の好きな人たちとポップカルチャーに愛を込めて、この辺で。


*1:黄禍論という言葉が出てきて恥ずかしながら初めて知った。読んで字のごとく黄色人種を脅威とした人々が差別的に唱えた物である。1895年に起きた三国干渉は、これが影響している。

*2:デンマークの監督。見ていると、うつ病を引き起こしてしまいそうな作風が特徴。映画にハマった頃から偏愛していて多くの作品を鑑賞した。『アンチクライスト』、『メランコリア』、『ニンフォマニアック』は「鬱三部作」と呼ばれており、彼自身が散発的なうつ病に悩まされている為である。『メランコリア』は自身のセラピーの為に制作された映画だとされている。

*3:特に「ススメ!」。36枚目となるはずだったシングル曲。この事があったのでSMAPの解散は涙無くして語れないので、バイト中にSMAPファンの人と語っていたら泣きそうになった。

森見登美彦『夜行』と古書店街。

11月頃から念願叶って紀伊国屋書店でアルバイトを始めた。でもアルバイトであるので、思い描いていた様な書店員っぽい業務に携われない事と、かなりネチネチと僕の接客態度に難癖を付けられる為に始めたばかりの頃は本当にストレスで参ってしまった。ようやく慣れた頃には暇なレジ業務をどう楽しもうかと考える様になった。と、言っても大体の時間は最近読んだ本とか映画に対して自分なりの解釈を考えたりしている。

 では、どんな楽しみ方を考えたかと言うと、お客さんが持ってきた中でも気になった本に挟まってる”スリップ”を抜いてポケットに入れては、どんな本であるかを想像すると言う物だ。因みにスリップとは、本に挟まってる短冊の様な紙で、コミックなどにも挟まってるので一度は見た事があると思います。一般的には立ち読みしてる時に、何ページかに渡って挟まっている邪魔な物という印象が強いかもしれない。しかし本のタイトルから出版社名、ISBN*1という978から始まる本のコードなど様々な情報が記録されている物である。このISBNコードで検索すると一発で本がヒットするので書店で本を探して欲しい時は事前にamazonなどで調べて置くとスムーズに事が運ぶと思うし便利なので覚えておいて欲しい。(大抵はタイトルと著者名で見つかります)このスリップを抜いて保存する事で「どの本が売れたか」という本の売り上げを集計する訳だが、今はコンピュータでそれを管理する時代なのでスリップは大抵の場合は捨ててしまうので、それを自分がメモ代わりに取っておいて後で買う楽しみにして置くという訳だ。そんなに大した事ではない楽しみ...笑

 紀伊国屋書店と言えば有名だし大手な書店なので、結構な割引き価格で買えるのでアルバイトを始めてから多くの書籍を買い漁ることができた。実は今日、古書店街で有名な神保町をぶらぶら歩いていたら本についてを色々と書きたくなった。そういえばロケ中の渡辺正行さんを見かけた。前回来た時は古本市をやっていて朝井リョウさんを見かけたりして、本以外にも様々な出会いがあったりする。それにしても神保町は素敵な街で、ある古本屋に入ったら綺麗な女性書店員が熱心に本を読み耽っていて羨ましい気持ちで嫉妬心が芽生えてしまったが、あまりに幸せそうな姿に僕はトキめいてしまったのだ。そんな彼女との時間を共有したいが為に「つげ義春全集」を読み漁るという、我ながら実に変態極まりない行為を犯してしまった事を、この誰も見ていなさそうなブログにておわび申し上げる。そんな前置きは、さて置き。今回は最近買った本や読んだ本についてをつらつらと書き記していく所存でございます。

 

f:id:gennkissu:20170118180605j:image

 

いよいよ、1月19日。つまり明日発表される直木賞候補作である内の一つ森見登美彦さんの『夜行』について取り上げたい。以前、ブログにて取り上げた恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』も候補の一つだ。因みに両作品とも本日発表された本屋大賞のミート作品10作に選ばれている。*2

  

夜行

夜行

 

 

あらすじー

 私たち六人は、京都で学生時代を過ごした仲間だった。十年前、鞍馬の火祭りを訪れた私たちの前から、長谷川さんは突然姿を消した。十年ぶりに鞍馬に集まったのは、おそらく皆、もう一度彼女に会いたかったからだ。夜が更けるなか、それぞれが旅先で出会った不思議な体験を語り出す。私たちは全員、岸田道生という画家が描いた「夜行」という絵と出会っていた。

 

ざっと説明してしまうと、それぞれの登場人物が章ごとに不思議な体験を語っていく怪談小説のオムニバス的な作品になっているのだが、タイトルにある「夜行」が物語の重要な存在になっていて、それに対となる「曙光」が鍵を握っていて後半の展開は『四畳半神話体系』っぽさ(これを言ったらネタバレの様な気もしなくはないが)を感じさせる様な内容にもなっている。森見登美彦さんと言えば独特な文体で僕も挫折した事はあるのですが、本作は”本当に森見さんなの?”と疑うくらいに読み易い物となっているので以前諦めたという方にもオススメしたい。勿論、森見登美彦節も健在であるのでファンも必見な内容です。実は先ほど、神保町の古本市に行った事を書き記しましたが森見さんの『夜は短し歩けよ乙女*3という作品で京都の古本市についての話があり、それに影響されて”せめて東京で良いから!”という理由で行ったという、どうでも良い裏話。

 

続いては、かなり毛色の違う書籍ですが成毛眞さんの『AI時代の人生戦略 「STEAM」が最強の武器である 』について。

 

AI時代の人生戦略   「STEAM」が最強の武器である (SB新書)

AI時代の人生戦略 「STEAM」が最強の武器である (SB新書)

 

 簡単な内容-

   楽しく遊びながら将来に備える方法。日本の労働人口の49%が、10~20年以内にAI(人工知能)やロボットに置き換えられる可能性が高い。AIが人間の能力を超える「シンギュラリティー」の時代も、予想以上に早く到来するかもしれない。そんな近い将来、人はAIやロボットを使う側、使われる側に否応なく選別される。定型的な仕事しかできない人は使われる側、創造性を活かし社会的な知性を身につけた人は使う側にまわる。日本屈指のイノベーターが、残酷な5年後を見据えた人生戦略を説く。

 

なぜ読もうと思ったかは、少し前に第88回アカデミー賞視覚効果賞を受賞した『エクス・マキナ』を見た事や2016年が”AI元年”と囁かれる様に、AIという言葉が身近になりつつある時代に生きる人間として多少の知識を得たいと思ったからに他ならない。といっても、まだ読んでる途中なので詳しくは書けないのだが読み進めて行くと「AIが発達する事でなくなる仕事」の一覧がズラーッと並べられていて、あまりの多さに頭が呆然としてしまったのは言うまでもない。あまり興味がないという方もAIは必ず身近な物となる筈なので、是非とも読んでみて欲しい。僕も大学生になってから、こういう新書サイズの書籍を読み始めたのですが、結構薄くて読み易い物が多いので、情報をサッとインプット出来て、大変便利な読み物であると思っています。卒論を書く際にも岩波新書に、めちゃくちゃお世話になりました。思ったより2冊の紹介で分量が多くなってしまったので、今回はこの辺で。明日の直木賞の選考結果が分かる時間帯(19時頃)は、どうやらバイト中みたいで残念。

 

 

 <関連する記事>

gennkissu.hatenablog.com

 

*1:ISBN(アイエスビーエヌ、International Standard Book Number)は、世界共通で図書(書籍)を特定するための番号である。 日本語に訳すと国際標準図書番号となる。 開発はW・H・スミスのプロジェクトであった。 日本では、これを基に日本図書コードとして使用されている。

*2:2004年(平成16年)に設立された、NPO法人 本屋大賞実行委員会が運営する文学賞である。一般の文学賞とは異なり作家・文学者は選考に加わらず、「新刊を扱う書店(オンライン書店を含む)の書店員」の投票によってノミネート作品および受賞作が決定される。因みに僕は『自生の夢』、『蜜蜂と遠雷』、『コンビニ人間』に投票した。

*3:今年の4月に星野源が主演声優で映画が公開する。聖地巡礼などが流行りがちなので公開前に京都の鴨川などに訪れたいです。

くるりの好きな曲 1回転目

『カルテット』に興奮してしまった為に眠れなくなってしまったのでブログを書くことにした。ブログを見てくれた高校時代の友人に「くるり岸田繁について」とかリクエストを頂いたし、僕が愛してやまない物であるので色々と語っていきたい。正直言うと音楽的知見や教養を持ち合わせていないし、くるりとの出会いは好きだった女の子が好きなバンドであり、それがきっかけで好きになったので聴く度に多少は思い出してしまう訳であるので、くるりを語ることは「喜び」であり「悲しみ」でもある様に感じられて非常にセンチメンタルな気持ちになってしまうのだ。



この呟きは、くるりの1枚目のシングル「東京」に関する裏話なのだが、こんな感じに恋人への気持ちだったり上手くいかない焦燥感だったりが歌詞から読み取れるので聴いてて僕とくるりの心情が完全にシンクロしまくってしまうのだ。それはさて置き、こういう話をダラダラと僕が語る必要もない程に素晴らしい書籍を宇野維正さんが出しているので是非とも読んでほしい。


f:id:gennkissu:20170118032056j:plain


なんとなく、くるりの曲で惹かれて好きな曲は16枚目のシングル「赤い電車*1である。

赤い電車は歌い出す ファソラシドレミファソー
赤い電車に乗っかって 夢を探しに行くんだよ
でっかい東京 こんな街もあるんだ
見た事のない景色見せてよ 赤い電車


この曲を京急に乗って聴きたいが為に京急に乗った事もあるが、本当に最高だった。鉄ヲタによる岸田さんの電車への愛に溢れる多幸感ある歌詞も好きなのだけど、それ以上にファミコン*2の8bit音の様なピコピコした音が大好きなのも好きな理由の一つである。そのピコピコ音が流れるだけで、無条件に好きになってしまうくらい偏愛していてエリック・ロメール監督の作品で幾つかオープニングでピコピコ音が流れた時には興奮してしまった。後、ブログ書く為に調べてたら「赤い電車」のリリース日が僕の誕生日と一緒で運命性すら感じてしまった。今度、海外旅行で成田行くから京急乗って行こう。後は妻夫木聡柴咲コウが主演のドラマ『オレンジデイズ』の挿入歌になった「ばらの花」も大好きだ。くるりの歌詞は、そんなにストーリー性を感じないのだけど、この曲だけはとっても奥行きを感じてしまう。

雨降りの朝で今日も会えないや
何となく でも少しほっとして
飲み干したジンジャーエール 気が抜けて

安心な僕らは旅に出ようぜ
思い切り泣いたり笑ったりしようぜ


雨が降った日に会えない心情を綴った曲に聞こえるけど、会えないのにほっとしているのが何故なんだろうと聴くたびに思ってしまう。付き合ってるけど、どこか冷え切った関係性の男女の話なのだろうかとか色々な解釈が出来そうな曲かもしれない。先ほど挙げたドラマ『オレンジデイズ』では、柴咲コウが耳の聞こえない役を演じているのだが、そんな柴咲コウが妻夫木に「ばらの花」の曲の解釈を求めるが手話では”切ない感じのする曲”としか伝えられず、どうしようかという事で、絵にする事で曲のイメージを伝えようと思い立つ所が本当に胸キュンすぎて最高すぎるのだ。色々と語りたいけど、今日はこの辺で。2月末にくるりのツアー「チミの名は。」に行く予定なので、その時にもう少し語ります。


くるりのこと

くるりのこと

*1:鉄ヲタ岸田繁さんが敬愛する京浜急行電鉄京急)とのタイアップ曲である。

*2:未だにファミコン引っ張り出してスト2やるくらい大好き

TBS火10ドラマ『カルテット』第1話

本当に制作発表から待ちかねた坂元裕二の脚本によるドラマ『カルテット』。坂元裕二のドラマでお馴染みの満島ひかりに加え、常連になってきた高橋一生の出演、以外にも初出演の松たか子松田龍平。この四人の化学反応がどう作用するのか考えただけでも興奮してしまう。もう本当に予告の唐揚げにレモンにかけるか論争を見てから期待度が高まりすぎて高まりすぎて、バイトを早めに切り上げてリアルタイムで観てしまいました。ごめんなさい!

f:id:gennkissu:20170117234532j:plain

あらすじー

ある日、“偶然”出会った男女4人。
夢が叶わないまま、人生のピークにたどり着くことなく緩やかな下り坂の前で立ち止まっている者たちだ。そんな4人がカルテットを組み、軽井沢で共同生活を送ることになる。しかし、その“偶然”には、大きな秘密が隠されていた……。


巻真紀(松たか子)は別府司(松田龍平)の運転で軽井沢の別荘へとやって来た。待っていたのは世吹すずめ(満島ひかり)と家森諭高(高橋一生)。東京のカラオケボックスで出会った4人は皆演奏者で、弦楽四重奏をやることになったのだ。ライブレストランで演奏しようという話になるが、その店では“余命9ヶ月”のピアニスト・ベンジャミン瀧田(イッセー尾形)がレギュラー演奏していた。そこで真紀は、突拍子もないことを言い出す。(公式サイトより引用)


まず予告にもあった食卓で起きる”唐揚げにレモンをかけるか”論争が如何にも坂元裕二という感じで、高橋一生の神経質な感じは『最高の離婚』の瑛太を思わせるし、ファンが見たら思わずニヤけてしまうのではないだろうか。お皿に盛られた唐揚げに対して何の迷いもなくレモンをかける別府と世吹に対して、突っかかる高橋一生演じる家森のセリフ。

これは、人それぞれ、自分たちの皿に取り上げた後に個々に掛ける為に置いたんじゃないか。唐揚げにはレモンするよって人と、レモンなんかする訳ないでしょって人がいるじゃないか。

唐揚げは洗える?レモンするって事はさ、不可逆なんだよ。二度と元には戻れない。


坂元裕二に馴染みのない人にとっては、何だこの会話は状態であるが、まさにレモンの汁のようにジワジワと後半の展開で、その論争を反復させる事で効いてくる。その”唐揚げにレモンを掛けるか”を”夫婦の形”といった普遍的な物に繋げてしまう脚本の素晴らしさに思わず感動した。話は変わるが運命的な出会いを果たした四人の口から劇中で何度か「運命」という言葉が発せらる。「運命」の出会いという事もあり、どことなく順調な関係に思える四人だが、こういうレモン汁のくだりの様な生活の細かな点からズレ(違和感)が生じるのは、いつもの坂元裕二っぽさを感じさせられるし、”運命の貧弱さ”みたいな物を露見させる。毎度ながら、この様なズレの積み重ねが幾十にも描かれて行く。実際に、四人がカラオケボックスで「運命」的に出会ったかの様に思われるのだが、序盤のシーンで満島ひかり演じる世吹すずめが、もたいまさこ演じる老婆に、この女性と仲良くなってくれないかと松たか子演じる巻に近づくよう依頼される事からも、これは運命ではないと言う”運命の貧弱さ”が強調される様に思えた。1話の後半で巻に近づく理由が明かされるのだが、どうやら老婆の息子(巻の夫)が巻に殺されたかと疑ってるようなのである。正直、ラブストーリーであるのかなと思っただけに、まさか*1のサスペンスストーリーという事で非常に驚いた。世吹が依頼され、巻に近づいたとするなら他の二人は「運命」的な出会いなのかどうなのだろうという疑問が自然的に起こるのではないだろうか。実際に「運命」なのか否か。「運命」ではないのなら、なぜ巻に近づいたのか...。改めて見返すと序盤で松田龍平の口から発せられる「運命」も最高に胡散臭い。しかも、たまたまカラオケボックスで出会った四人が楽器の演奏者であるのが尚更。ただ似た様な社会への生きづらさを持った四人である事は間違いないのだが...。この辺のさじ加減が絶妙なのかもしれないし、様々な”嘘”が物語に散りばめられている様に思えて仕方ない。サスペンス要素に対して1話だけでは、どう足掻いても解釈仕切れないので今後の展開が楽しみ。

それにしても1年前の『いつ恋』も良かったが、今回の『カルテット』も坂元裕二独特の言い回しが最高で、この俳優陣の声で発せられるという白眉。「夫婦って別れられる家族」とか「人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、まさか」とか。個人的に高橋一生のバディーソープのくだりが大好き。

家森「バディーソープ買ったっけ?バディーソープ切れてたよね」
別府「え・・・買いましたよ」
世吹「何をですか?」
家森「ん?バディーソープ・・・なに?」
世吹「なんでもないですよ、バディーソープ買いましたよ〜笑」


ボディーソープをバディーソープという家森に対して、嘲笑する世吹が可愛すぎて最高で、ついつい笑ってしまった。しっかし、坂元裕二が脚本というだけでも素晴らしいのに俳優陣まで最高すぎて次回が楽しみすぎるし、主題歌も最高でした。いつもの坂元裕二節全開で、更に新しさも増してとんでもなく傑作になりそうな予感がする。もう1話の時点で満島ひかり高橋一生の掛け合いが最高すぎる。個人的にですが、去年の4月期ドラマ『ゆとりですがなにか』で認知度を上げた吉岡里帆さんが元地下アイドルという役柄で出演していて、どう主役の俳優陣と絡んでくるのかというのも楽しみである。

*1:劇中にもある「人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、まさか」というのが、ここで効いてくるとは!

『リトルウィッチアカデミア』と『映像研には手を出すな!』を見ました。

今期のアニメで唯一見たいと思っていたのが、株式会社トリガーが制作した『リトルウィッチアカデミア』だ。『新世紀エヴァンゲリオン』や『トップをねらえ!』を生み出したガイナックスというアニメーション制作会社から独立したアニメーション演出家の大塚雅彦今石洋之、制作プロデューサーの舛本和也の3人が2011年に設立したのがトリガーである。因みに僕が愛してやまないアニメ『天元突破グレンラガン』に関わったスタッフでもあり、否が応にも彼らが紡ぐ歴史を追わなければならないのである。もう一つ情報を付け加えると、『エヴァ』、『グレンラガン』、『フリクリ』のメカニックデザインや作画を担当した吉成曜が本作には参加していて、これは見ない訳には行かないと思った。


f:id:gennkissu:20170117122054j:plain

あらすじ―
幼い頃に見た魔女・シャイニィシャリオのショーで魔法の魅力に取り憑かれて、ヨーロッパの伝統ある魔女育成名門校「ルーナノヴァ魔法学校」に入学したアッコ。しかしいまだホウキにも乗れないどころか、授業でも勝手なことをして騒動ばかり起こしている。


魔法使いにあこがれた少女が魔女学校に入り成長して行くという王道物になっている。猪突猛進タイプの主人公アッコと眼鏡を掛けた冷静なロッテ、ちょっと変わり者のスーシィの三人組が主役のドタバタコメディという感じだ。本作と一緒に取り上げたい作品がスピリッツで連載している大童澄瞳*1さんの『映像研には手を出すな!』である。


映像研には手を出すな! 1 (ビッグコミックス)

映像研には手を出すな! 1 (ビッグコミックス)

アニメ制作×女子高生、青春冒険譚!

アニメは「設定が命」の浅草みどり、カリスマ読者モでアニメーター志望の水崎ツバメ、金儲けが大好きな美脚の金森さやかダンジョンへ、戦場へ、宇宙へ--想像の翼を広げて、電撃3人娘が「最強の世界(映像)」を創り出す!


こちらも少し風変わりな三人組が主役で、正直めちゃくちゃ面白かった!作者のTwitterを覗いたらメカの作画はしたこと無かったとあるけど、凄い勉強したのが伺える。作中に出てくる戦車なんて"ボトムズ"っぽかったりするしメカ好きにもおススメしたい作品かもしれない。なぜ、この作品を『リトルウィッチアカデミア』と一緒に取り上げるかと言うと、そもそも『リトルウィッチアカデミア』は「アニメミライ」というアニメーター育成プロジェクトの"新人育成"というテーマで作られた作品であり、監督の吉成は本作の着想について、「新人アニメーターの話を別のものに置き換えできないか」というアイデアを元に、「新人アニメーターが、深夜枠の魔女っ子アニメに憧れて来ました、みたいなノリ」をテーマに本作に着手したとされている。

この様に『リトルウィッチアカデミア』の魔女を目指す三人組というのは、新人アニメーター三人組を換喩化した物であり、描き方は違えど根本的な部分は『映像研には手を出すな!』における新人アニメーターの成長期と近い物ではないのかなと思った。(アニメ描きながらファンタジーの世界に行ってしまうから一緒かも...笑)

今回二つの作品を見て、僕は物語における三人組の話というのは凄く面白い物が多いかもしれないなぁと思った。小さいころに見た『ズッコケ三人組』や『忍たま乱太郎』も、まさしくそこに分類される。"三人寄れば文殊の知恵"という諺がある様に、一人一人に欠点があっても三人で力を合わせれば何とかなる物だという、日本人的な教育に基づいた物を反映させてるような気がしなくもない。そうじゃないにしろ、僕がもし物語を紡ぐとして色んな性格の登場人物を出すって考えた時に二人だと少し少ない気もするし、四人だとちょっと多いから、三人がちょうどいい気がする。もう何か色々と語りたすぎて、どこから語ればいいのか分からない。多分、トリガーの作品が好きな人は『映像研には手を出すな!』は絶対に面白いと思うので、とりあえず読んで欲しい。1話が無料みたいなので騙されたと思って、どうぞ。


*1:1993年生まれって僕より1個上!!凄い才能!!!