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すきなものについて

『この世界の片隅に』を通して見る”過去”と”今”②

 

 2016年のNo.1映画として選んだ『この世界の片隅に』を新宿ピカデリーで見た。僕は本作を見るのが公開日ぶりの2回目だ。やっぱり広島に行ってみて見返したくなってしまった。女優の”のん”がヒロインの声優を務めるアニメーション映画『この世界の片隅に』は、週末映画ランキングで11週連続ベストテン入りを果たし、累計興行収入記録15億円を突破した(2017年1月23日付の情報)。本当に素晴らしい作品であるので、小規模での上映だった本作が全国的に広がっていくのは、とっても嬉しい!原作の著者 こうの史代さんの漫画は幾つか読みましたが、『夕凪の街 桜の国』が僕の中で一番好きなので、それらについても語りたい。というか今回は、こうの史代さんについて語るブログでもある。

 

本作の概要ー

本作は、2011年に北川景子主演で実写ドラマ化もされた、こうの史代のコミックを『マイマイ新子と千年の魔法』(2009)などの片渕須直監督がアニメ化。戦時中の広島県呉市を舞台に、ある一家に嫁いだ気立てのいい少女・すず(声:のん)が戦禍にのまれていく悲劇を描く。

 

正直、北川景子が主演でドラマ化をしたものは見ていないのですが、北川景子演じるすずさんの夫の姉・黒村徑子役のが似合いそうなのだが、なぜこんなキャスティングにしたのだろうか。それはさて置き、今日は朝から『この世界の片隅に』のコミックを見返して、先程も申したが映画も2回目の鑑賞をした。そして『ユリイカ』のこうの史代さん特集を読み、本作を通して何を描きたかったのか、何を描こうとしたか、見てどう感じたかなどを書いていこうと思います。因みに『ユリイカ』には、”こうの史代 単行本未収録作品”として『ナルカワの日々』という作品が掲載されているので必見です。

 

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単刀直入に『この世界の片隅に』に描かれているのは、すずさんの「半径5mの世界」だ。少し話は逸れますが、クリスマスにポップカルチャーを批評してる宇野常寛さんが主宰の対談イベントがあった。加藤浩次さんや國分功一郎などをゲストに招き1対1で2016年にあった様々な事について語り合うという物で、誰だったか忘れましたが『シン・ゴジラ』や『君の名は。』、そして本作『この世界の片隅に』等の映画について言及される場面があり、そこで宇野常寛さんが何度も口にしていたのが「半径5mの世界」だ。所謂「半径5mの世界」とは”内側の世界”であり、徹底的に”外側の世界”を排除した世界なのではないかと思います。では何故かというのを語っていきます。戦争という背景が描かれる映画について、まずは何を思うだろうか。”怖い”とか”酷い”とか”残酷”とか常にネガティヴなイメージが付きまとう。こうのさん自身もこの様に語っている。

 

でも、もともと原爆についてはみるのもいやで、テレビでも原爆の話題になるとすぐにチャンネルを変えていたほどだったんです。だから描きたいとも思っていなかったし、むしろ自分なんかがうかうか語るものではないというか、実際に被爆したわけでも被爆二世だもない私にはそんな資格がない気がしていました。(...)

  

原爆ものをみたり描いたりすることになぜ抵抗感があったのか。残酷だからといってしまえば楽ですし、だいたいそういうふうに逃げてきたんですけど、本当はそうではないんですね。たぶん「原爆」というとすぐに「平和」に結びつけて語られるのが私はいやなのだと思います。

 

こうのさん自身も『夕凪の国 桜の国』(本作も広島の原爆が物語に関わる)を描く前は非常にネガティヴな印象を戦争や原爆について抱いていたという事が分かる。だから、そんな戦争や原爆に対するイメージを払拭する為に、『この世界の片隅に』が生まれたのではないでしょうか。『夕凪の国 桜の国』の中のストーリーの一つ「夕凪の街」では、夕凪の街(別名:原爆スラム)で原爆後に生き残った女性の心情や”原爆症”に悩む姿が描かれていたり『この世界の片隅に』と比べると少し暗いかもしれませんが、主人公の皆実(みなみ)は、おにぎりを包む「竹の皮」を集めて草履を作ったりと、細やかな生活模様が描写されていたりするのは、やはりこうのさんの優しさが伺える(『この世界の片隅に』でも少ない食料でやりくりして、その中で小さな工夫と幸せを糧にしたりと同じ様な暖かさを感じる)。で、先程も挙げたが『この世界の片隅に』では”原爆”が「半径5mの世界」の外側に追いやられた事で、優しさだったり、戦争の中でも幸せを見出したり、そういう細やかな描写が増えた事でネガティヴなイメージを払拭させたのではないかと思います。こうのさんは、こう語る。

 

ある種の”わくわく感”ですね。やっぱりそこはどうしてま避けられないというか、戦争の悲惨さだけを語っていても、そういうものが好きなひとにしか届かないんですよ。ひとが戦争に惹きつけられてしまう理由を説明するには、その魅力も同時に描かないといけない。そこに分かちがたいものがあるということをどこかでいいたくて、この作品では割とそれが表現できてよかったと思います。

 

対談相手の西島大介さんは、その”わくわく感”についてこう語る。

 

前半は軍艦や飛行機が次々に紹介されて、現代の日本にも通じる技術大国的な夢というか、それこそ”わくわく感”があるのですが、それが空襲であっというまにメタメタにされてしまうという末路も同時に描いている。

 

おそらなく『永遠のゼロ』といった「反戦」や「平和」を謳うような作品が増えている中で、ただのお涙頂戴にならない様な物を描きたかったのではと思った。何か戦争の中にも「幸福」や「楽しさ」を感じさせる様な、そして生き辛い時代でも強く生きる姿を描きたかったと思う。ただ僕らが生きていない、実際に戦争を体験していない人間が、むやみに「反戦」を掲げてしまう事は薄っぺらく感じてしまうし、前回の記事で婆ちゃんが言っていた様に「自分たちに技術があるって思い込んじゃった。でもアメリカがそれを上回った」という当時の人が抱いた想いや”夢”が崩れるリアルな記憶を描く事で、”ただのお涙頂戴”ではなく”この世界の片隅”を描いたのではないでしょうか。そんな”片隅”に注目して本作を、もう少し語ろうと思います。長くなりそうなので、また次のブログに続きます。

 

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